能登有沙、小倉唯、石原夏織/「初音ミク ひる・コンサート 〜こんにちは、初音ミクです〜」@Zepp Tokyo

バーチャルアイドル初音ミク、全39曲に1800人が夢中(日テレNEWS24)

ちなみに「1800人」はほぼ実数。一般的なタレント(ハロ除く)と違って水増ししないのが好感持てます。平日のそれも昼公演、それも追加公演なので、健闘した方でしょう。 観客は女の子が意外と多い。男女比7:3くらいです。私の周り(最前ブロック上手端っこ)は5:5くらい。 というか、整理番号600番台で端最前でした(苦笑)。というのも記事の画像で判るかな...ライブの殆どはステージ上に置かれたほぼ透明のスクリーンに映し出される、ミクの3D動画(誰かのモーションキャプチャによるもの)を見ながらライブを楽しむのですが、端っこだとそれがぼやけちゃうから。

そのスクリーンはほぼ等身大で、それとミク音声(当然合成されたもの)と生演奏のシンクロによって実現されるコンサートです。

そのモーションキャプチャは今までの資産(SEGAによるもの)にライブアレンジを加えたもの+新作。既存のものは小倉唯能登有沙が担当しているのですが、新作は一体誰だろう?

ライブ自体は曲がノリがよく、バラエティに富んでいて楽しめるものでした。それと意外と音質も良かった。ただ初音ミク(ライブ)の弱点はMC。「こんにちは初音ミクです」くらいはしゃべれるのだが、「この前の日曜日お母さんと原宿へ行ってお買い物しました」的なものは一切なかったので、曲間の無音状態が度々。そんな感じでMCが入らないので(ゲスト)ほぼノンストップライブ状態でした。 アンコールもありましたよ。

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感想。
色々収穫のあったライブでした。

元々、初音ミクは単なる音源+ソフトではある。で、その流れは、実験・(プロアマ問わず)作家のお遊び→ファンダムの形成→そこから新たな才能の開花→「アーティストのとしての初音ミク」が独り立ちしていく...という流れの中で彼女自身がアイドル化していくプロセスを感じます。

ネギは「作家のお遊び→ファンダムの形成」あたりのエピソードかな。
多分にこの段階で止まっている、あるいはそこから先には進まないとナメている人は一杯いるはず。

その感覚を知っていると知らないとでは、見た印象が全く異なる。知らない人は何かの宗教儀式かと思ってしまうだろうが、知っていると「初音ミクというアーティスト(≒アイドル)のライブ」としてきちんと認識できるし自分も楽しめる。そしてそこに来る人の大半はそれを望んでいそうなことも理解できる。
それとは別に神曲(名曲)をこの場所でみんなと共有したいという感覚もある。このバランス感覚は割とアニソン系や声優系ライブに多い空気感なんですが*1、それと近い感じになりつつある。

「アーティストのとしての初音ミク」や「アイドル化していくプロセス」にはSEGAさんのProject DIVAの影響もある。彼女がブランド化していく段階で徐々にそれが形成されている最中。

そうなると、「アーティストのとしての初音ミク」に対してどういう曲を作っていくか?...じゃあ他のボーカロイドにはどんな曲を?...という観点も芽生えてくる...いや、もうその段階。アーティストが「曲運」を呼び込むとでもいうのかな?...例えば全盛時代の松田聖子とかね。この子に是非歌って欲しいという感覚がある。

それは直ぐにでも出来る。ミクの良さはコンペがないこと。多分にこれが一番作家のモチベーションを上げている要因だとは思う。楽曲の良し悪しはファンが決めている。そこでブレイクすると追加発注的に仕事がくるという流れ。ただ、変な仕掛けとか、ビジネス臭がすると、とたんにつまらなくなりそうではある。

今は、ライブを前提に作られていない(自由な発想で作られた)曲と、そうじゃない曲(Project DIVAオリジナルなど)が混在している。

ハロプロハピスタもほぼライブを前提に作られているので、これは新鮮な反面、ノリの悪さもある。それは、声優ライブみたいにコール表がなく、えらいひとの統制がないからってのもあるが、いわゆるBメロのPPPHができないとか、そういう部分が大きい。ただそれでも、サイリウムの色分けやUOなど、アニメ・ゲームファンの文化性は感じました。

とりあえずここまで。
能登有沙ゆいかおり(小倉唯石原夏織)については後ほど。

*1:いやハロプロも実はそんな感じです。