ハロプロはどこから来たか?(その7)

そろそろ年齢的にもキャリア的にも周りをうまく使って「あの人もこの人も実は♂一派」とか「なんだかわからないけどすごい人」というイメージを獲得する方向へいきそうなものですが、そこまで至らないのは浮き沈みの激しい世界を体感してるだけに「自分の運命を他人任せにできるかよ」って気持ちがあるのかもしれませんね。

こういうのって自分に不幸が訪れないとわかんないんですよね。交通事故で体が麻痺したり、癌に侵されて。残酷ですけどね。健康だから、自分がスーパーマンだから、考えたこともないってのは、逆に考えると最高に不幸なんですよ。

僕はいわゆる「アイドル」のセールスポイントの一つに「未熟(未完成)である」ことがある(ことにされている)と思っているのですが、年齢を重ねると成長・成熟し、またキャリアを積むことでスキルも上がっていくことは避けられないわけで、単純な年齢の壁というよりは人間(女性)として、およびタレント・アーティストとしての成熟度が壁になるのかも。

「未熟」「成熟」ってのは、身体的(外見的)・性格的な側面と、あとはスキル(技術)やセンス(才能)、大きく分けてその二つの側面があるんです。前者の「未熟」さはリスナーにとって好みの問題ですが(ロリ好き・熟女好き・オールOK(笑))、後者の「未熟」さは一般視聴者にとって致命的な印象を与えかねません。
ZYXからBerryz工房の初期あたりまでは、これがごっちゃになっていて、そこでスタートダッシュにつまづいた気もしますが、℃-uteは少なくとも後者の「未熟」さでは売ってはいないと思うんです。キッズ(今だとエッグ)の時代では結構ユルユルなんだけど、メジャーデビューでキッチリ帳尻を合わせる...っていう今のスタイルの原型になっています。

なので、ハロプロエッグのデリバリーステーションはその意味での後者の「未熟」さを、思いっきり肌で感じられるステージなんですが、あれ見て「出直して来い!」なんて誰も言わないと思うんです。
そのバランス感覚が備わってきたのは、我々もこの10年で成長したってことなんでしょうね(苦笑)。

「大人の女」を描くのは苦手なんでしょうね。だからたとえば今のメロン記念日なんかには絶対に合わない。少年期的な女性への憧れを持ち続けているというか、「父親になっても童貞の心を忘れない」と呼んでおります(笑)。

ええ。私の持論は「アイドルは男が童貞に還れる趣味」ですから(苦笑)。あ、私の場合は趣味ですね。
さらに、私の持論に「エックス理論」っつーのがあります。これは「左から右に年齢が上がっていく」のに対し「当初は大人の曲を歌わせつつ、徐々に曲の年齢を下げていく」ことによってバランスを保つ理論です。つんく♂さんの得意な楽曲はセクシーな大人の曲ですが、それをちっちゃい子に歌わせることで、世界観を増す手法ですね。スイカに塩をぶっかけるのにも似てます(笑)。

これが交わるのが概ね17〜20歳あたり。
ただ、大人に大人の曲を歌わせても、当たり前というか、つまらないんです。だから、そこで思うような結果が出なくなってしまう。そこで少し子供っぽい曲を歌わせると、とたんに輝きだします。「16歳の恋なんて」は正にそうですね。
これが日常的に行われているのが、アイドル声優が歌う、いわゆる「キャラソン」だったりします。
もう本当に簡単な理論なんですが、これがハロプロに欠けています。中澤姉さんがバースデーライブでロリロリ衣装に身を包むのは、そのあたりを本能的に察知しているのかもしれない。

「自分がハンパだと思うなら今すぐ辞めろ、好きなら一生走れ」みたいな気分になります。そんな経験はないんですけど。

ははははは。
うちらの世代でこの世界に残っている人のは、もうその域かもしれないです。
ビートルズのコピーバンドをやり始めるオッサンのごとく、俺たちもそろそろフリフリの衣装着はじめたりしてね(苦笑)。

芸能でありながらスポーツのような、あるいは限界まで誇張するなら求道者とも呼べるくらいのものを感じます。

同感です。

「かわいい」を追求する道重さゆみとか嗣永桃子なんて凄味すら漂わせていたり。僕の好きな「かわいい」は中島早貴的なものなので波長が合わないんですが(苦笑)。

私は両タイプとも好きですね。基本、可愛くて下の方に穴があていたら大抵OKです。

「あのお客さんたち一人も残ってないんだろうな・・・」なんて寂しい思いはさせたくない。

ああ、茉麻ヲタはオッサン度が高そうだから、彼女が40歳(リアル熟女)になる頃には、ほぼ死滅しているかもしれん...と思ったら、思わず涙が出てくる今日この頃だなあ(苦笑)。