ハロプロはどこから来たか?(その8)

エレンさん(コメント)。

ハロプロはいわゆるナイスバディ(死語?)をとらない印象がありました。もちろん基準はあるでしょうが、他に比べてゆるいかなあと。それが個性につながったのかなあ。

これはビジネスライクに考えれば、一発で答えが出ます。

アップフロントはモデル事務所ではありません。

「モデル」と聞くと今の若い衆は「ファッションモデル」しか思い浮かばないでしょうが、「グラビアアイドル」も本来は「グラビアモデル」ですし、裸を見せる仕事も昔は「ヌードモデル」と呼ばれていました*1
で、これを始めちゃうと、さまざまなニーズに応えるために沢山登録させる方向に走っちゃうので、ハロプロなんてやってられなくなっちゃいます。

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それに近い話をしますね。

エッグが順調に行きはじめた頃、当時の署名活動をしていた最強さん達と、彼女たちの未来像について語り明かしたもんですが(苦笑)、もともとU-15好きとか、スクール好き*2が多かったので、その中で「子役事務所とかモデル事務所みたいな下部組織があったらいいよね」みたいな話になったんです。

そのときの私の意見は「あっても良いけど、それ専用の子を沢山抱えないといけないし、それがハロプロの役に立つかは疑問だよ」でした。具体的には子役劇団だと男の子が必要になります。事務所パワーでねじ込む方法もあるでしょうけど、この人数が欲しいって話になると、アイドルとして育てたくない子も沢山必要になる。私の考えはそれよりも「そういうところで『ハロに居たほうが幸せなんじゃねえの?』って子を何とかしてあげたほうがいいかも」でした。実際、それに近いパターンの子が出てきましたよね。

ただ「今居る子を活かす」という意味で、今在籍している子に何でもさせるのは大賛成なんです。

んで、菅谷梨沙子ピチレモンのモデルになったことがありました。で、すぐに辞めちゃったと。2007/3〜6ですかね。
梨沙子がモデルを辞めたのは、なんででしょうね?
お試し期間だったのかな?
ビジネス的にフィットしない何かがあったのでしょうね。さすがにそこまでは分かりません。妄想でこうじゃないかな?ってのは思い浮かびますが。

ただ、モデルは地方在住者でも可能な仕事なので、地方エッグを育てたいなら、そこは頑張って欲しかった部分ではあります。ってのはジュニアモデルの定年は概ね高校1〜2年生で、その頃に上京するかどうかの判断が双方に生じるからです。

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以下はひとりごと。

ちなみに、エッグが常設化したのが2007/8ですが、その当初は「モデル募集」の文言が踊っていました。ところが、数日で削除されました。

ちなみにちなみに、2007/10頃にUFSが姿を現します。実態は声優マネジメント事務所ですが、UFSの「スタイル」はジュニアモデル事務所(あるいは部門)を意識して名付けた可能性が高い。ピチレモンは学研、ラブベリー徳間書店で、さらに児童向け雑誌ですから、野口社長のテリトリーに近いことは確かです。

ちなみにちなみにちなみに、久住小春を生み出した「オーディション2005」は、ピチレモンハナチューSEVENTEENに広告を打ってます。ピチレモンごっちんインタビュー付だったはず。小春は確か「お姉ちゃんの読んでいた雑誌」という発言があったので、多分にSEVENTEENかなと。でも、年齢的に高めの人も結構受けていたので、もうひとつ上のカテゴリーの雑誌かもしれないですけどね。
そして、UFS(というか野口社長)は「きらりんプロジェクト」に関わっています。

それらが、点と点でつながっていきます。

通説では「『オーディション2005』は『ラッキー7』のやり直しだ」となっておりますが、私は(プロセス的に)全くの別物だと思ってました。仕切り直しは「HAPPY 8期」の方かなと。

ひとりごとは以上です(苦笑)。

*1:その一方で、映画界では「ポルノ女優」という呼称もありました。ただAVはモデルシフトかなと。

*2:「スクール」といっても女子高生マニアとかじゃなくって、ミュージックスクールやダンススクール方面です。