アイドル歌手評論を難しくするもの(その2)

前回とは繋がってはいませんが、せっかくのタイトルが勿体無いのでシリーズ化します。
モーニング娘。学会経由でこちら。

卒論完成「日本アイドルビジネスの歴史的変遷と現在 どういう物語が語られてきたのか」 - りとすら

(The Beatlesの記述がないなど)細かい事実については突っ込みどころもいくつかありますが、それ以外は上手くまとめられていますね。感心します。
気になる部分をピックアップしてみます。

「ホンネが商売ってのはわかりやすいけれども、ウソが積極的に商売になるというのは今まではあまり考えられなかったことです。アイドルがウソだっていうのは商売する側もずっと隠してきたわけです。」(稲増、1989:pp.105-113)

時代性の強い発言ですが、このウソって何を意味しているんでしょうかね?
二つ考えられますよね。「仕掛け」「仕込み」「やらせ」的なものと、いわゆるプライベート的なもの。

前者では、アイドルよりむしろプロレスがそうですね。ただどちらにしても、仕込みや仕掛けはあるにしても、結果起こってしまったことは事実ですから、そこまでウソなものには興味は湧かないと思います。
また、人気が急激にアップしたアーティストに対し「○○はアイドルか?アーティストか?」という論議がついて回りますが、これは「○○はウソか?真実か?」と置き換えることも出来ます。この場合、より本当らしいウソがつける人たちがアーティスト面していられるというのが、日本のショービズ界だったりします。

後者の場合、アイドルというよりタレント全般がそれに関わってきます。 言わなかった(別に言う必要の無い)真実が露出した場合、表面上に現れるものが途端にウソに見えてしまうケースがよくある。それを悪用したものがスキャンダル報道です。本来はどちらも事実なんでしょうが...ただ、受け手側が今まで表面上に現れたものだけでイメージを膨らませてしまっているから、そうなってしまう。
女性アイドルの場合、男性社会における処女神話的なものがかなりのウエイトを占めていますので、この部分ではかなり不利な立場には置かれています。

どちらにせよ、「ヘキサゴンII」という番組で次々にスター性をもったユニットが登場していますが、島田紳助さんは事務所から推されてきたタレントさんの「作られたキャラクターの部分」を必ず引っぺがします。そこで魅力を持ったタレントさんを残しプッシュしていくから売れる...という図式ですね。
ASAYANもVTRで必ず引っぺがしてましたね。そこが魅力だったわけです。

なので...

 そう、アイドルが自分の意志で、「幸せな女の子としてキラキラとテレビの前で歌って踊っていたいです」と進んで言うことはないのだ。それはなぜかと言えば、アイドルの所属している事務所やテレビ局が、商品であるアイドルをどういう形で売っていくのかというマーケティング戦略の方が本人の意思よりも相対的に重要であるため、アイドル自身の意見や意図などの優先順位は低くならざるを得ないからだ。たとえアイドル自ら「自然体であること」をメッセージとして発し続けているとしても、それ自体が戦略として機能しているので、そこに固有性が発生するわけではい。

これじゃあ「売れないアイドル」製造レシピです。
ASAYANでも合格までは盛りあがったのにデビューしたら失速する...というパターンの方が圧倒的に多かったですが、正にそれなんですよね。
それが本音ならば「幸せな女の子としてキラキラとテレビの前で歌って踊っていたいです」って言ってもいいんです。仮にそれが「プロっぽい」と言われても、それが彼女の哲学ならばそれでいいんです...ってのがハロプロ

話は変わります。

それらにまつわるマーケティング手法に焦点を当てていきたい。

で...

第2章 アイドルビジネスの歴史的比較

ですが、「第1節」はともかく、「第2節」から「第4節」までは、この論文では一切登場しないキーワード『CBSソニー』をキーワードにしていくと...

2年間限定のおニャン子の活動の後には、アイドルにとっての冬の時代が到来することになる。また、バブルの崩壊もアイドル業界にとっては大打撃であったことは言うまでもない。

...というのがスッキリ理解できるかなと思います。というのも山口百恵松田聖子もそうですし、おにゃン子のソロワークスのいくつかもCBSソニーの新人達が絡んでますし、「冬の時代」であからさまに撤退してしまったのは、CBSソニーだったからです。

以下、独り言。
Zetimaソニーディストリビューターですが、私的には他社に切り替えて欲しいなあ...っていうのは、ここではあまり書きませんでしたが、知人らには話したりしてます。
独り言終了。

また、メディアの進化と密接に結びついています。「第2節」はカラーテレビの普及。「第3節」は一家に一台を超えてきた時代。「第4節」はアイドルファンのVTR保有率が高まったり、LDやVHDの登場とリンクしているかなと。
「第2節」の頃は大衆向けであることが必須でした。じゃないとお茶の間のチャンネル争いに勝てないですから。木ノ内みどり岡田奈々といった、男性向けで本来なら大衆化しなくてもいい歌手ですら、その道を歩む必要があった。それが「第3節」になると「裏番組を見たいから部屋に戻るね」が可能になりだし、「第4節」あたりになると親と子の共通の話題にはなりえなくなってきます。
メディアの進化の恩恵を受けたものは「グラビアアイドル」もそうですね。DVDの普及により比較的な安価なパッケージが作れるようになり、また石丸電気などの協力もあり、CDだけでなくDVDでも発売記念イベントを打てるようになったことが大きいです。

「第5節」は本業としてのアイドルから、下積み仕事としてのアイドルへの変化が大きいですね。「アイドル」が空位になったことで、他の呼称に押し込まれていたこれらのものが、こぞって「アイドル」という名前を利用するようになったのです。
下積み仕事をアイドル化したものの雛型になったのが、文化放送の大学生DJや、「オールナイトフジ」なんですが、おにゃン子クラブはその直系になります。なので...

 おニャン子と比較してみると、おニャン子が毎週のテレビのコーナーでメンバーを募っていた

...なんです。合格者の実態は素人もいますが、(特に初期には)レコード会社のキープ組も結構います。この手法は乙女塾チェキッ娘AKB48(一応素人前提)やアイドリング(事務所所属者の下積み系)に受け継がれています。
一方、モーニング娘。はそれ自体が完結したアーティストですから、違いは歴然です。
中野腐女子シスターズはその中間というか、思惑は様々かなと。

このあたりの考え方は、その人の持つアイドル像について割り出すことができますので...

 それらのアイドルの穴を埋めるべく台頭してきたのは、アイドリング!!!AKB48(えーけーびーふぉーてぃーえいと)である。

...なんですよね。
これが、貴方たちの世代のアイドル像です。
それだけアイドルの定義はあいまいです。

ただ、「モーニング娘。にも『卒業』システムがあるから、下積み仕事には変わりないだろ」と指摘されれば、確かにそうかもしれません。私も(最近特に)「モーニング娘。オーディションは『モーニング娘。入りが副賞のアップフロントタレントオーディション』の性格が強かった」と発言しています。ただ、最近はそれが無いのが本業色が強くなっている証拠ではある。
この「卒業」が今後あるのか?は、ファンクラブ構造のありかたも含めて、ウォッチしていかないといけない重要なキーポイントですね。

話は変わります。

モーニング娘。は良くも悪くも後藤真希という毒薬を飲んでしまった時点から、終点へ向けて走り出してしまったんです。

(中略)

モー娘。はスキャンダルにさいなまれ続けた。

うーん...実にありがちな論調だな。これは彼女一人のせいではなく、ASAYAN的手法からの路線変更によるところが大きい。今までのオープン的体質(但しスキャンダラスなことはタレントとしての常識的な範囲で)から、ガチガチの状況になったことが原因です。
喫煙は未成年者ならば論外ですし、犯罪はそれ以前の問題。ただ別に恋人がいても問題ではなかったはず。何故なら当初は子持ちの方も最終オーディションにおりましたので。
これが、どういう経緯で今の状況になったのか、ハッキリ説明できる方、募集中です。何も出ませんけどね(笑)。私が説明することも出来ますが(BPOとかテレ東社長発言とか)、推測や意見のウエイトが高くなるので、ここで完結する話じゃない。

また00年代中盤〜後半では、上戸彩長澤まさみ新垣結衣堀北真希らをはじめとするアイドル女優が活躍の機会を広げている。

これは邦画ブームの影響も多少はありますが、相対的にそう見えてるだけかもしれないです。ちょっと前ならばトップはドロンジョ様かな。いつの時代もドラマや映画はありますので、若手女優のジャンルは手堅いんです。

聖子を送り出したサンミュージック相澤秀禎も「女性アイドルといえど今は同性の支持なくして売れず、同性の支持の方が重要だ」(相澤、2007)と述べているように、最早女性アイドルという概念そのものが変貌を求められる時代になったと言える。

うーん...今更何気が付いているんだろうなあという感じです。だからサンミュージックは若手女性歌手が絶えちゃったんでしょうかね?
女性に支持されるには、「あからさまな処女神話的なもの」はやめなさい...は極論かもしれませんが、窮屈な状態ではない方が望ましいですね。

とまあ、こんな感じですが、そんなに違和感なく読めました。
ただ、この論文で唯一訳分からん文章は...

 この共同性への欲求を組織化しているのが各アイドルのファンクラブであるが、ファンクラブに入ることによって成立していた疑似恋愛感覚が逆説的に失われることになってしまう。

...かな。
現在のファンクラブというのは「ファンの集合体」という抽象的なポジションではなく、チケットの優先割り当てといった囲い込み戦略が主な目的ですので、現場から遠いなど恩恵を受けない人はスルーするなど、別の要素の方が強いです。だから濃い薄いとは必ずしも直結しない。
ただ...

小説家の吉岡平は稲増のインタビューのなかでこう答えている。「疑似恋愛的な部分というのは最初からファンクラブというものに属していると、できなくなるわけだから、ある程度距離を置いて、むしろ無償の愛に近いものになり」「ファンクラブ同士の横のつながりがすご」く、「もしかしたらアイドルに対する感情よりも強いかもしれない」(稲増、1989:p.51)とすら言える。

ああ、距離感ね。
これも現在では、握手会とかスケッチブックとか別の例えの方がいいんですけどね。でもこれが現場と在宅の認識の差なので、まあ仕方ないっちゃあ仕方ないですね。ただ「ファン同士の横のつながり」ってのは距離感が近すぎると難しいってのは当たってます。「ファンクラブ同士」じゃないですけどね。
「距離感のわからないヲタは嫌われる」ってことかな。

 データベース消費では、データベースを完全にそろえてしまうことは逆効果になってしまう。それは読者がいかに読み取っていくかという点が消費の成功として大きいためであり、そのための余白を作っておきたい。

ああ、思い出した。
昔、「松本紳助」という番組があり、そこでオーディションをやったのですが、参加者のプロフィールが家庭事情などあからさまなプライベート情報で埋め尽くされたことがある。その頃から紳助さんは、そういう方向性だったんでしょうね。余白なんかいらない...みたいな。
ただそこに書かれているものが全て真実とは限らない...みたいな。
ただ、起きたこと、書かれたこと自体は事実である...みたいな。

 第二に注目するのはモーニング娘。の7期生、久住小春である。久住小春はテレビアニメ『きらりん☆レボリューション』 の主役「月島きらり」を声優として声を当てていると同時に、その虚構性を全面的にアピールした『恋カナ』や『パパンケーキ』などの楽曲をリリースしている。この虚構性こそ従来のアイドルの持っていた輝きの再現だと考えてよいだろう。モーニング娘。が凋落していった「後に生まれたスターが、久住小春」であり、「彼女の場合は徹底的に作りこまれたアイドルスキルで、同世代の女の子に受け入れられるという、このご時勢もっとも難しい荒業をやってのけた」(小林、2008.09.27)のである。

生身の久住小春月島きらりとは対極で、大味だけど大技使いのパワーファイタータイプなんですが、俺は生身の方が好きですね。