オタクとサブカル(その2)

続き
レスなのれす。

fujihiroさん(コメント)。

あんまり定かな記憶じゃなくて申し訳ないのですが,「おたく」が「オタク」と表記されて一般雑誌(SPA!のたぐい)に出るようになった90年代半ばくらい(エヴァンゲリオン前後かな?)に,「サブカル」という言葉が「サブカルチャーの略」ではなく,「おたく趣味をお洒落に(露悪趣味的に)たしなむ層」というように使われるようになっていたように記憶しています.

やはりそうですか...これは二大政党的な感覚なのかもしれないし、あるいはその世界のマニアの世代対決みたいなものかもしれないですね。
時代的に渋谷系と重なっていますが、彼等(送り手側)も過去の音楽の再発掘からお洒落なものを抽出して世に送り出すことを好んでいたので、世の中の風潮が産んだ言葉なんでしょうね。

        • -

痛井ッ亭さん(コメント)。

・70年代に萌芽し80年代を席巻した日本のいわゆる「サブカル」と、世界的に見たときのsubcultureは明確に区別するべきなのではないか、別物なのではないか、と思っております。

うーん...どうでしょうねえ?
確かに日本人からみれば「別物です」でも良いのでしょうけど、日本の文化が海外からも注目されている状況下では混乱を来たすような気もしないでもない。「アニメ=ジャパニメーション」っていう認識のされ方ができるほどのパワーがあればいいのでしょうが...そういう意味では言葉自体のパワーが弱くて不安定な要素を含んでるところが、混乱している一つの理由なのかもしれないですね。

・またアイドル歌手が80年代に「カウンターカルチャー色が強くなる」とは、どの様な状況を指しておられるのか、お教え願えれば幸いです。

アイドル歌手って聖子ちゃんみたいなものを想い描くかもしれませんが、例えば不良にとってのアイドルも存在していた筈です。対抗文化が政治的なものオンリーで語られるべきならば、それは違うのかもしれませんが、大人社会への反抗的なものも含むのであれば、それは含んで良いと思います。
それに悪影響を受けたのか、1980年代のアイドルの歌詞は今とは相当異なります。「MUSIC FAIR」のハロプロ大会でもそういう発言はありましたね。

個人的には、日本には、明確にカウンターカルチャーと呼びうる文化は存在しないのではないか、という意識があります。例えばヤクザの刺青文化をそう呼びうるかもしれませんが、ヤクザは主流文化を担う秩序に寄生しているだけで「対抗しよう」という意思を欠くがゆえに対抗文化たりえないと感じるのです。

カウンターカルチャー」で代表的なものは60年安保とその周辺の若者文化です。
レンタルショップなどで、手っ取り早くチェックできるのは「ゴジラ対ヘドラ」かな(笑)。これは時期的には反戦時代ではなく公害問題ですけどね。反戦時代の文化がかなりスライドはしています。
暴力団に関しては同意です。多分にこれは海外でもそうだと思いますよ。

・日本には、明治維新第二次世界大戦の敗戦、という大きな二つの文化史的断絶があります。なので、江戸時代と現在とを連続的に捉えることは出来ないと思います。明治維新以降、日本のメインカルチャーハイカルチャー)自体の継承、発展、刷新、それ自体がいびつなものになっており、メインーサブという序列も曖昧なものにならざるを得ません。なので、西洋の文化を分析する際には有用なメイン、サブ、カウンター、ポップなどのタームも、日本の状況にそのまま置き換えることは困難であるように感じています。

確かに「カウンターカルチャー」や「サブカルチャー」といった言葉もありませんので、分類する意味は無いということなのかもしれません。
ただ、江戸時代になると、もう内戦もない状況下において町民文化が発達します。その中では流行もありますし、体制批判を庶民の娯楽に盛り込んでいくという手法も芽生えてきます。ゲリラや暴力団の様に武力・暴力で訴えるのではなく、言葉や絵画や演技で訴えるという手法は、「カウンターカルチャー」や「サブカルチャー」となんら変らないと思います。
それと、私が提示している手法は、専門家ではないので何て言うかは知りませんが(笑)、現在の定義が混乱している際に、過去の状況はどうだったか?海外ではどうか?というところから分析することによって、現在の状況を解りやすくする...という手法もアリなんじゃないかな?と思っています。特に「おたく」という言葉自身「ファッションおたく」といった「貴方の身の回りにもありますよ」的な手法で市民権を得ていきました。私は専門家や研究家相手にこのコラム書いているわけじゃないので、常にそのことには気を使っています。