モーニング娘。学会(その2)

続き

みやむーさんのコラムにちょっと補足をしてみます。じゃないと勿体無い気がするので...

と、その前に...
はてなキーワード」の「オタク」は私が書きました(岡田斗司夫氏に関する文章と、参考文献の項を除く)。中森明夫氏の「漫画ブリッコ」の連載もリアルタイムに読んでいますし、そこに登場する新宿御苑前のフリスペも何度か足を運んでいます。当時は東映がやっているアニメショップや、アニメック誌の直営店や、「マンガの森」など。新宿南口から新宿通りにかけて専門店が点在していたことから、あのあたりが「おたく」エリアだったのです。今はもう面影はありませんが...

中森明夫氏の「おたく」について
中森明夫氏が定義した「おたく」には三つの側面があります。
一つはコラムニストとしてのウリが欲しかったということ。これは「オタク」キーワードにも書きましたが、「漫画ブリッコ」での文体からしても、いわゆる「ネアカ・ネクラ」に代わる流行語を作りたかったのだと思います。しかし当時アニメファンは「ネクラ」で打撃を受けており、更なる蔑称は受け入られなかったはずです。案の定、その後編集長(オーツカ某)と意見が合わず雑誌から追い出されます。通常ならばここで用済みの人間なのですが、M君事件をきっかけに「おたく」キーワードがマスコミに取り上げられて、今の地位があると考えていいと思います。
その時「おたく」バッシングを擁護したことは、安易に作った言葉が独り歩きしてしまうことへの責任を感じてしまったこともあるのかな?とみています。その後のアイドルプロデュースなどから秋元康氏と同類と思われがちですが、秋元氏よりも随分と責任感は強い方だと思います。

二つめは、「ライフスタイル」としての「おたく」です。
当時のこの手の流行語は、例えば「金魂巻」の「○金」「○ビ」などもそうですが、怪獣図鑑みたいな図を用いて、「この種類の人間はこんなファッションをしている」とか「どんな彼女と付き合っている」といった切り口でアピールしていました。それを嬉々として読んでいた層は趣味のディティールよりも、その人たちの「ライフスタイル」に興味があったのです。
この手法の類似系はテレビ朝日の「銭金」ですね。
「おたく」も同様の切り口です。

もうひとつは情報アクセスの手段としての「おたく」です。
当時のアニメファンにはインターネットもパソコン通信もありませんでしたので、主な情報源は「専門誌」と「問い合わせ」と「同人誌・ミニコミ誌」と「口コミ」です。それを前提に「漫画ブリッコ」の文章から読むと解りますが、彼等は別に友人として付き合っている訳じゃないんです。つまりアクセスしたいものは「貴方」じゃなくって「貴方の持っているコンテンツ」なんです。多分にその独特のコミュニケーション手段と、希薄な人間関係が中森氏には異様な光景に映ったのでは?とも解釈できます。
余談ですが、アニメ同人誌は1980年前後までは、作品論やデータベース的な役割を担ったものが圧倒的に多かったのです。ところがコスプレの台頭やガンダムブームが発生する頃から、「アニパロ」と呼ばれるキャラを借用したパロディ漫画系同人誌が主流になります。「おたく」という言葉もその頃に作られました。ただ、これがパソコン通信→インターネットに移りはじめる1990後期あたりから、先ほどの様な評論系のものも好まれるようになりました。ここから、同人誌とインターネットでの棲み分けが出来ているともいえそうですね。

「アイドル」とは?
アイドル史については、拙作の「アイドル」キーワードが参考になると思います。

当時のアイドルライブはこんな感じでした。
途中でシャボン玉を飛ばしている(?)男性陣が映っていますが、彼等は親衛隊です。親衛隊が壇上に上がることは通常ありえないので、大変珍しいシーンです。で、この雰囲気をみると「暴走族かよw」と思われるかもしれません。
1970〜80年代後期までは明星・平凡・近代映画といったタレント雑誌が馬鹿売れしていた時代でした。西村知美斉藤由貴といった自身も漫画が大好きで、また漫画・アニメファンが好んで聴いているSSWと交流のあるアイドル以外は、オタク向けより同年代の全ての若者向けというポジションでした。その中には暴走族も不良も右翼も左翼もいます。一般社会の構成と似たようなものです。ライブやイベントは「祭り」と一緒です。テキヤの出店はあるし、親衛隊同士が揉めて喧嘩にもなる。ここが「同好の士」的なアニメ・漫画マニアとは異なるところです。
この名残は、今では特攻服程度しか残っていませんが、過去のモーニング娘。ライブで「藤本美貴」や「石川梨華」の特攻服はみかけても、「道重さゆみ」「紺野あさ美」の特攻服はなかなかお目にかかれません。特にここ最近は全般的に少なくなりました。これは「特攻服ブーム」の終焉ではなく、着る側の「ライフスタイル」の違いです。

アイドルは「おたく」か「サブカル」か?
よって...

一方、1989年の宮崎勤事件から引き起こされた、おたくバッシングに対して
おたく擁護をした人物たちは、
基本的にはアニメ・マンガを中心とするおたくたちであった。

は正にその通りです。
「おたく」は蔑称としてスタートしたのですが、「おたく」バッシングの際に彼等の持つ「ライフスタイル性」を理解した上で弁護していったことが、功を奏しました。
しかし、こちら...

アイドル論はアイドルブームが去った80年代の終わりと共に衰退した。
80年代に主にアイドル論を語った人は新人類と呼ばれた人たちであり
彼らの使うニューアカ的な言語も80年代の終わりにブームが去った。

...は、歌番組の衰退により、大衆に向けて発するコラムニスト達にとって「歌謡曲」は伝わり難い題材になってしまったのです。一方、アニメはターゲット層に支持する者が少ないので発するに値しなかった。
ところが、「オタク」が市民権を持ち始めた1990年代中期になると、物心が付いた頃からガンダムやTVゲームと触れ合ってきた世代が彼等のターゲット層になってきた...と考えるのが自然です。

ちなみに、「おたく」と「サブカル」の違いについては、海外のカウンターカルチャーから見ると、どちらも同じに見えるかもしれません。
同時期に出来た言葉でもないでしょうから、どちらかが先に大衆に認識されて、巻き添えを食いたくない者が意識的に作った言葉のようにも見えます。それは二大政党的かもしれませんし。「蛾と蝶の違い」なのかもしれません。

ハロプロは「オタク文化」足りえるか?
ハロプロはキャラクタービジネス的な要素を盛り込んでいることが特徴です。このキャラクタービジネスは、当初幼児を主な対象として展開していましたし、今もそうです。ただ、このキャラクタービジネスは、本来あまり関係の無いメンバーやユニット、そしてファンにも大きな影響を与えています。これが、前出の世代とマッチして、新たな世界観を生み出しています。
一方、昔からのアイドルファンが旧態依然のアイドル的なアプローチを試みたことはあります。それは親衛隊に近い大規模ファングループの存在なのですが、現在はほぼ消滅しています。
「オタク」の中には「ブーム」はありますが、「オタク」=「ブーム」ではありません。前出の通り「ライフスタイル」を含めて考えるべきものです。去ってしまったファンはともかく、今のファンは「ブーム」という言葉を嫌うかもしれません。また他のジャンルの「オタク」達にとっては、アイドルは賞味期限の短さから一過性の「ブーム」と捉えがちですが、そのあたりの誤解を説く(解く)ことから始めないといけません。

フェミニズム
痩せ型体型信仰についてはアイドルより、むしろモデルやそれを目指す(あるいはそれに同調する)女性に対する、世界的規模の深刻な問題です。
それを踏まえ、ウチの奥さんはハロメンの健康的な体型を評価しております(苦笑)。

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おまけ。
エレンさんの...

いちばん盛り上がったのが嗣永桃子を巡るやりとりで、彼女のプロフェッショナルぶりについて、あれは何なんだ?みたいなもの。

(中略)

それと、これはぼくのなかでもおいそれとは手を出せないといった問題、いわゆるフェミ陣営がからんで来る女性アイドル問題。ここでも、いまむさんが本領発揮していて、様々な議論がかわされ、ぼくは、いまむさんの「モーヲタはチン子切ればいいんだ!」みたいな発言に、

嗣永桃子=プロ」って認識をもっている人って凄く多いけど、私はそう思ったことはないんですよ。
彼女は...物凄く失礼な表現なんだけど...根はオカマなんじゃないかな?と思っています。
物理的には女性なんだけどね(苦笑)。
オカマを「女性より女性らしい男性」と定義すると、彼女は「女性より女性らしい女性」となる。

で、見ている私たちも大なり小なりオカマ力(おかまりょく)を持っていて、その想像力を日夜働かせているのだと思います。実際オカマさんって女性アイドル好き多そうだしね。俺たちはある意味、その一歩手前なのかもしれないな。 そう考えると、嗣永桃子は愛欲の対象と同時に、同志、つまりよき理解者でもある。