℃-ute/改めて「桜チラリ」を聴く(その2)

続き

ハッチマンさん。

素敵なコラムをありがとう。
つんく♂さんの言葉を借りるまでもなく、これはロックだと感じたよ。

だからといって手放しで絶賛してしまうのは彼女達の成長にマイナスなんじゃないかって気持ちもある。彼女達のスタートが大絶賛ではじまれば、そこに甘えや油断も生じてしまうような気持ちがある。だから本当は否定から入りたい。

ひとつだけ確実だと思えるのは、彼女達はこの曲を深刻なものと受けとめていないこと...かな。例えば「お前ら、オリコンスタイルとかで『この曲の意味を知っていますか?』と質問されたら答えられるようにしておけよw」「ういーっすw」程度には理解しているとは思うけど、歌いきった後に毎回感極まってしまう演歌歌手の様なディープさはそこにはない。

振り返ってみれば村上愛さんがいなくなった後の最初のイベント、みな寂しそうな顔をしていましたが泣いてはいなかった。
さらに振り返れば石村舞波さんの時も、こんな現場見たこと無いくらいにヲタのほうが泣きじゃくっていた。

そういやあ、俺も中学までの卒業式には特に何にも感じなかったなあ。
子供たちには、まだそういう器官が発達していないんだろうか?

それでも、一度だけ女子たちの泣きじゃくる姿を見たことがある。
それはいつも通りの平穏な「帰りの会」で突然ある女子生徒が先生の前まで歩き出し「○○さんは今日でお別れになります」というセリフを聞いたそのあと。
彼女は親が逮捕されたため遠い遠い親戚の家に移り住むことになったのだが、噂が立つとマズいのでギリギリまで伏せていたようだ。もう帰ったら直ぐに出て行くという。距離も離れているので今を逃したらもう一生会うことはないだろう。それまで楽しかった学校生活が絶望感に襲われた瞬間だ。

それに比べれば卒業は随分とゆるやかで、またどこかで会えるね...という楽観的思考が支配してしまうのだと思うし、それを忘れさせるだけの楽しさはまだまだ彼女達の周りには沢山ある。それが限りあるものだと知った時にはじめて彼女達は泣くんだと思う。

なので、今は無理に理解しない方がいいかもしれないね。無邪気に踊る彼女達だからこそ悲しいのかもしれない。