ハロモニ。での「アイドル」という表現について

ここ最近ハロー!モーニング。で「アイドル」という言葉が度々使われる様になってきましたが、私的にはあまり使って欲しくないと思います。

いや、それは古くからある「娘。はアイドルか?アーティストか?」といった主観的な視点じゃなくって、アイドルは本来三人称。つまり受け手が勝手に決めるものだから。

この番組でのアイドルはどちらかというと二人称としての使われ方。二人称と言ってもスター=錦野旦/姉さん=中澤裕子といったイメージの固定化という意味ではなく、「君たちはアイドルなんだからこうしなさい!」みたいな感じですね。(私が書いた)「アイドル」キーワードの6番目の意味に近い。
ただそうすると世界観が窮屈になって、番組としてやれることがどんどん狭くなってしまう。何だか矢口真里の辞任時の文章の悪影響が変なところで出てしまっているんだよなあ(笑)。

ただそれは番組のライター/スタッフのイメージ像であって、本人たちや楽曲制作者の描くイメージはまた別のところにあると思う。特に本人達はクレバーに考えているんじゃないかな。今回の文化祭でのある種の自虐ネタ的な構成は、そこから数歩先を進んでいる様に感じる。

#これらの理論は演歌でもそうですね。昔は歌謡曲(流行歌)と演歌(艶歌)がシームレスだったんだけどなあ。

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おまけ。
少し増やしました
ハロプロは「1」ないし「1」予備軍(=「4」)から構成されてるものですが、欠けているのは「3」の要素。
女性ファンは年齢によって「憧れ」か「共感」のどちらかの要素が高くなる傾向があるのですが、そのどちらか(あるいは両方)を満たしてくれるアピール力が徐々に弱くなってきています。
エルダー強化年(笑)には無くてはならない要素ですので、頑張って欲しいです。