地下アイドル(その2)

続き&改題。

UFS野口社長

やっぱり、ワーカホリック気味ですなあ。UFGの中では寺田社長と並ぶ二大ワーカホリック。メンバーにとっては「おとうさん」的存在なのですから、健康にはお気をつけくださいね。

当時そのシステムを作ったのは自分なワケで…(←笑うところ)。

はい。
多分に野口社長にインタビューすれば、インディーズアイドルの歴史の90%くらいは網羅できるかも。

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同じく

当時はフジテレビで企画のお仕事しつつ、アイドル誌のライターをしつつ、アイドルのイベント制作なんかをやってました。
その頃アイドルは「冬の時代」を迎え、アイドルが出られる番組は激減、予算は大幅に削減され、アイドルはデビューしてもコンサートができない、キャンペーンもできない、すなわち、お客さんの前で歌うことができないような状態になってきていたのです。
そんな状態だったので、業界有志でアイドルがステージに立てる環境を作ろうじゃないかというプロジェクトが立ち上がり、ライブを企画。

「歌姫伝説」ですね。いわゆる「プレアイドル」イベントの先駆け。
プレアイドル」とは簡単に説明すると「デビュー候補生」。当時はレコード会社やメジャー事務所の後押しがあったことで、リアルにデビューを控えている「プレアイドル」さんたちを紹介していくイベントで、客寄せ的にCoCoメンバーをゲストで呼んでいたりしました。確か1991年頃から数回開催。
これはこちらで言うところの「新人公演」に近い。エッグ=プレアイドルですね。

それをライブハウスなどをメインとし、今で言う「地下アイドル」が形成されたのは水野あおいあたりから。

「歌姫伝説」が順調に行くと、困ったことにデビュー前な状態が好きなファンが増えてくるようになり、そこに元々マイナーアイドル好きな人たちも加わって、新たな市場が浮かび上がります...といってもそんなに大きな市場じゃないですが。で、そういうファンを相手にする(メジャーを目指さない)アイドルがいくつか登場したり、メジャーレーベルの契約終了となった子達が活動の場をそこに求めてききたり...と「プレアイドル」は、やがてそういうマイナーアイドルたちのことを指すようになります(概ね1990年代中頃から2000年代前半あたり)。
これは、今でいうところの、ハロ→NGP→他のマイナーアイドルに移っていく人達を見たらわかりますよね。正に「歴史は繰り返す」です。

それが、どんどんマイナー化して、「アルバイトをしながらでもステージに立てたらいいな」的な状況になる。曲もオリジナルではなくカバー中心。それを当時のマイナー事務所の社長さんが「地下アイドル」と称するようになる。

で、そういう子達は、それだけでは生活できませんから「お菓子系雑誌モデル→AV・風俗嬢」といった方向に進んでしまう子も中にはいます。その中で野口社長は、自身の得意分野を発揮して、その子達の中の何人かの第二の人生を切り開く感じになるみたいなのですが、そのあたりも語って欲しいところ。自慢にならない程度で(苦笑)。寺門仁美のパターンはそうでしょうね。

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同じく

MDを使った編集の話。
現在は、編集したものをある無料ソフトを使って音出ししているんでしたっけ?
基本金をかけずにいかに展開するか?...ってのは、インディーズアイドルでは重要事項ですよね。
(信頼性にはやや難ありかもしれませんが...)

※「地下アイドル」という表現は個人的にはなんともしっくり来なくて好きでは無いが、わかりやすいので使ってます。

私も同感。
「地下アイドル」ってのは、座席があるような小規模なライブハウスで1980年代のアイドルのカバーライブを展開するイメージがある。どちらかというと「ビートルズコピーバンドがパプで演奏」に近い感覚です。「そっくりさん」ほどではないですが。
「地下アイドル」なる言葉を作った人の話は、野口社長が語るかもしれませんが、当時の人間関係を振り返るのが嫌そうな気もしますので、期待はしない方がいいかもしれない。
どちらにしても、今「地下アイドル」と呼ばれているものは、狭義の「地下アイドル」ではなく「プレアイドル」と呼ばれていたものです。エッグやAKBや大手のユニットものは「デビュー候補生」的な要素があり、他は「マイナーアイドル」「インディーズアイドル」的な要素がありますので。

ちなみに私は「ライブアイドル」という言葉も使っていません。「インディーズアイドル」という言葉を使っています。ってのは「ローカルアイドル」もありますしね。違いは「一部のヲタ向け」か「地域振興」かの違い。