「アイドル」の持つ意味(その2)

なるほど、何となくですが、わかってきました。
エレンさんと私は多分に数歳しか違わないのに、かなり印象は異なるんですね。
以下は私感ですよ。

私はアイドルって言葉できる前からアイドル的なものには弱かったです。
岡崎友紀とか、石毛恭子とか。
小学生になると、そのうち花の中三トリオとか、新御三家とか、キャンディーズとか、フィンガー5とかアグネス・チャンとか、いろんなスター歌手が登場しました。
その時からしばらくして「アイドル」って言葉がメディアで使われ始めましたが、ピンとこなかったです。ってのは、もうそのアーティスト名や、それらを一まとめにくくった言葉(前出の「花の中三トリオ」「新御三家」)が圧倒的に使われていたので、ちょっと作為的にも感じられました。売り出しの新人歌手を盛んに起用した若者向け歌番組に「アイドル」っていう言葉が冠ぶせられていた記憶もあるので、ちょっと安っぽい言葉として印象付けられていました。

1970年代の若手歌手は、「平凡」「明星」「近代映画」といった雑誌を中心に、水着姿など異性向けのプロモーションも当然ながらありましたが、お茶の間で知らないものはいないという意味で、大衆歌手とイコールでした。NAVレコードように異性向けかな?と子供ながらに分かってしまう歌手もおりましたが。それよりもフレッシュでヤングなパワーが炸裂していた歌手の方が「時代の寵児」には向いていました。榊原郁恵とか石野真子とかね。

松田聖子であり、漫画『TO-Y』の森が丘園子(のぶりっ子なキャラ)。アイドル=ぶりっ子であり、つまりアイドルに人格はなく、アイドルとは嘘をつく生物だと思っていた。

松田聖子はその「時代の寵児」達をお茶の間から引き剥がし、アイドルを産業としてピュアな若者文化へ移行させた張本人なんですが、イメージ的にNAVレコードっぽい感じがして、どうしてもその輪の中に入っていく気にはなれませんでした。
丁度その頃洋楽がニューウェイブ的なものからブリティッシュ・インベンションに差し掛かっていく過渡期で、そちらの方が楽しかったです。型にはまったものより、得体の知れないものの方が好きってのもありましたし。

ただ、その後、おニャン子にハマったっていうのは、パロディをパロディとして楽しむという、アニメおたく特有の楽しみかたと共通だったからなのだろうと、ふりかえっている。

私はおニャン子を番組企画だとは思っていましたが、パロディと思わなかったです。最初の印象は「可愛い子がいっぱいいるよ!わーい!」でしたけど、番組を見始めたところ、気になる子がいて、そのメンバーにハマった感じです。当時はまだ箱推しではありませんでした。やはりシステムではなく、メンバー個人なんですよね、惹かれる部分ってのは...そのぶつかり合いがおニャン子の醍醐味であって、そのピークを過ぎていくと、人気が下降線を辿っていきます。

おニャン子がアイドル文化をつぶしたというのは、ぼくは少し違うと感じている。

潰した...というよりも、ジャンルというのは成熟するにつれ、市場をどんどん狭くしていく傾向があるんです。大衆文化(1970年代)→若者文化(1980年代前半)→ファン向け文化(1980年代後半)→マニア向け文化(1990年代)という感じです。おニャン子クラブには誰々がいて...ってのはそれだけで敷居が高く、そこまで思える必要がないって人は、どんどんその市場から去っていく。
この傾向は今でもそんなに変わっていない。
ただ違いは、ここ読んでいる貴方(笑)よりも上の世代の多く(もうそろそろ「殆ど」といっていい)が、アイドルという文化を経験していること。ハロプロのクリエイターさんたちはこの世代もしっかり意識していますね。ファンが若いことを自慢するのは勝手ですが、それより上の世代が納得できるコンセプトが必要です。

ということは、娘。の出現によって、ぼくのなかのアイドルの定義が書き換えられたということなのだろう。そうとしか考えられないんだ。

彼女達の出現によって、時代は一度、1970年代頃(大体ピンク・レディーあたり)まで引き戻されます。ただ、そこに飛びついたファンは1980年以降のアイドルが原体験でしょうから、そこでの混乱はあるかもしれない。ある種の未体験ゾーンというか。でもその上の世代はみんな知っているというか。そこで世代間の共有が生まれるというか。だってオフ会とかで「何歳?」って聞くと、上は40歳で下が20歳ってのはあるよね。
世代間の共有だと、最近では「ヘキサゴンII」の諸ワークスなんかも、その手法で上手くいってます。

正直、好みの顔じゃなかったので興味がわかなかった。

意外と顔から入るもんでもないっすよね。

当時アニメおたくだったぼくの耳にも、彼女たちの歌や活動は自然と入ってきていて、流行のひとつとしての関心はあったけど、それ以上ではなかった。そんなぼくが驚いたのは、辻加護だった。何に驚いたのかというと、ああいう、B級アイドルというかキャバクラみたいなところに、あっぱれさんま大先生の生徒のような人物を加入させてしまうこと、その発想にぼくはとても驚いた。だから、ぼくはそのアップフロントのやりかたに、まず絶賛したんだ。彼女たちが好きでファンになったわけじゃなかった。

私の中では、中学生の歌手起用について、アイドルポップスの回帰現象を起こしつつあったあの状況下では、さほど驚かなかったのですが、石川梨華の加入は驚きました。当時彼女は何事にもネガティブ志向みたいだったので、そういう子を、こんなキャバクラみたいなところ(笑)に入れていいのか?...みたいな。でも、こういうポッカリ空いた穴を狙って埋めていく姿勢って好きですね。攻めの姿勢というか、その点、5期は慎重になったというか、守りの姿勢というか、穴が埋まっていたところにまた突っ込んできたというか...でも6期以降はまた違う穴に入れはじめてきたというか。ま、そんな感じです。