視聴者と流行音楽

NHKの討論番組で驚いたネットに対する認識不足(日経IT-PLUS)

ごめん、この番組は見てないや。
この手の討論番組は後でまとめてダイジェストで十分のような気がする。

「■あまりの認識不足に悲しい気持ちに」より前は、ほぼ同感ですが、これ以降は筆者の不満大爆発で、自分本位の発言に終始していて、ちょっと残念な感じになっている。私的にはテレビvsネットとかいう曖昧なものではなく、「無線による放送」と「有線による配信」という話で持っていける番組じゃないと、この手の主張を持つ人はストレスが溜まる一方かもしれない。

ものすごい数のブックマークの大半は彼の応援団だと思うので、あえて反論というか、矛盾点というか...見る人が見たらダメ出し反省会に見えるような私感を、以下に書いときます。
(エントリのタイトルに通ずる本題は、そのあとで。)

 まず、多くの参加者が「テレビ=テレビ受像機と放送」という捉え方をしていたが、実際にはパソコンでもケータイでもテレビは見られる。人気番組はDVDにもなれば、映画として上映されるものもある。つまり「テレビ」とは箱としてのテレビなのか「番組」(あるいはコンテンツ)なのかが、人や発言によってバラバラであり、曖昧だった。

WBCの決勝戦を携帯電話のワンセグ受信機能で観戦している光景はニュース映像で見ることが出来たが、これはいわゆる既存のポータブルテレビ感覚。そのくらい判りやすいインターフェースでないと使ってくれない。
「実際には...」以降は、よくある広義・狭義論みたいなもので、この時間内に話し合っても仕方ない気もする。

 また、ネットを使ったことがないと思われる人を中心に、「テレビ=マスメディア=良識ある報道、精度の高い情報」対「インターネット=個別メディア=無責任でいい加減な情報」という構図で話したがっていた。しかし、テレビ局だって新聞社だってインターネットを使っているわけで、テレビ対インターネットという構図はまったく的外れなのだが……。

WWWコンテンツは性格的にbroadcasting(放送局)よりpublishing(出版社)に近い。放送局は認可されたものだが、出版社は認可されてはいない。これらの批判は表現の自由が保障されている裏返しである。
上記例は(「テレビ局≒新聞社」という前提で)オッサン向け週刊誌に置き換えることも出来る。「テレビ局だって新聞社だって『週刊○○』とか出しているわけで」といった「インターネット≒週刊誌」という認識ならば、両者の言い分は少し近づいたのかもしれない。
理想的な展開として、米国の例などを取り上げて、CATV文化からPPVやVODを語る手法から、これがさらにインターネットとシームレスになってくる...みたいな切り口ならば、良かったかもしれない。なぜならインフラは電話会社だけではなく、有線放送業者やCATV業者も握っているので。なので私的には「インターネット」という表現で既に飛躍しすぎている側面は否めないかなと。その意味でCATV業者って出演していなかったの?

 メーンゲストですら「ネットにはいい加減な情報が……」というような発言をしていた。議論すべきなのはテレビがこれからどうネットを使うのかという点であって、ネットの中のいい加減な情報について語る場面ではない。ネットに対するあまりの認識不足に、正直悲しい気持ちになった。

ああ、昔(昭和30年代後期に)あった「映画産業vsテレビ局」みたいな構図かもしれない。映画制作サイドからすれば、当時のテレビはいい加減で適当なメディアであったはず。そのあたりを例にあげれば、抽象的に捉えがちな人たちを納得させられたかもしれない。

 視聴者代表のどなたかが言っていたような「昔と比べてテレビ番組の質が下がっている」という話では決してない。単にテレビの他に面白いことがたくさん出てきているのだ。テレビしか娯楽がなかった時代ではないのだから、必然的に、決まった時間にしか見られない番組は敬遠される、というか相手にされなくなる。

「映画」が「テレビ放送」に負けたのは、その場に行かなくとも楽しめるという「移動(空間・時間)」に決定的な差があったと思う。「有線による配信システム(あえてこう表現します)」が「テレビ放送」に勝るのは「時間(時刻)の調整」。多分にそれしかない...とは言えないが、特に重要な点。

 絶対価値が変わっていなくても比較優位性が薄れているということに、テレビの制作者たちが感づいていないことは正直ショックであった。

多分にこういう話は出てこなかったと思うが、放送局サイドに優位性があるとすれば、帯域を独占できるということ。
配信サイトは回線のトラフィックに限界があるので、大抵の場合、非可逆圧縮によるコンパクトなファイルサイズであり、高画質・高音質を志向しているテレビにとって変わるものか?...と問われれば疑問ではある。
コンピュータやモバイル文化の発達で、若い世代がローファイな環境に慣らされてしまっていることに関する危惧は、オーディオファイル(audiophile)を中心にある。割り切って使っている層がいることを認識しないとダメかなと。

それとはちょっと違うが、(判りやすい)ブランド戦略とか(所有することの)ステイタスとか、そういう部分がとても弱い気がする。もうパソコンにステイタスを求める時代ではないし、唯一ブランド力を持っているMacintosh(OSX)に対応していない配信システムがとても多いのも格好悪い。

 一方、面白い場面もたくさんあった。例えば、視聴者代表から、秋田県ではWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の放映がなかった点を指摘された際に、放送局側の方々は何も返せなかった(WBCは地方の方が関心高いと思うんだけど……)。

重箱の隅をつつくような話で一喜一憂しないこと。そんなのは昔からある話(ネットでもある)。多局化についてはデジタル新局の開局が棚上げされていることもあるので、このあたりを突くのは個人的には好きじゃない。ただCATVの「区域外再送信」を放送局が拒否する弊害については追求したら面白かったと思う。その意味でCATV業者って出演していなかったの(その2)?

 民放連会長の広瀬道貞さんが「確かに若者のテレビ離れは進んでいるが、その分高齢者の数は増えており、全体として視聴者数は減っていない」と発言された(テレビの広告主の多くは「F1」「M1」といって、メーンターゲットを若者にしているにも関わらず!)。

これをマイナス面と捉えるか、そうじゃないかは、例えばここ読んでる人なら理解しているはず。理想と現実は違う。芸能事務所はどうにでも対応できるようにしないと生き残れないところまで来ているかもしれない。

という訳で、前置きはここまで(笑)。
(ここからが本題。いままではどうでもいい話。)
話を(放送と深いかかわりを持っている)流行音楽に移します。

私的には、いわゆる「シンス系アーティスト」に対しては批判的なポジションではない。あ、「シンス系」って言葉自体が蔑称か(苦笑)。まあともかく、この時代ならこうやって売るんだよってのの良いお手本。ちなみにその中心にいる吉本もUFAもネットへの(不法)アップロードには寛容な事務所でもある。もう代表格といっていい。ここに角川を入れると御三家かな(苦笑)。

さらに、娘。ベリキューのレトロ路線は、その視聴者層に先手を打っている気もしないでもない。問題はそれに乗っかる勇気が放送局側にあるかどうか。私的にはUFAに有名男性パーソナリティーがいたら、もうちょっと自由に動けるのになあ...ってのは常にある。これが日の目を見るにはもうちょっと時間がかかりそう。

さらにさらに、テレビから離れているようにみえる若い衆(笑)の、音楽を求める際の有効手段として、アニメやゲームに派生するポップミュージックが重要視されている(気がする)。旧来のオタクに、アニメ・ゲームをポップカルチャーのひとつと捉えている若い層を加え、それが仮に(乱暴だが)約1000万人だとしたら、ひとつの国の文化に匹敵するものだと思う。UFA的には今後の課題ではあるが、UFP/UFSとしては既にその業界には絡んでいて、比較的早くその中に溶け込んでいくと思う。
ちなみに、アニメ情報番組の類を見ると、最近綺麗なシンガーが増えているのが気になる。やっぱ他社も乗り込んできている証拠かもしれない。歌っている本人達はどう思っているのだろう?...ってのは常に考えるところではあるが...

この3つが今後の鍵になると思います。要は「大衆の再確認」と「それらへのアプローチ」さらに「ネット先進層へのアプローチ」。ハロヲタ的に興味があるのは、その両方に携わるメンバーがいること。さらにユニットを再構成して(別物として)アプローチしようと試みていることです。既存の縄張りが邪魔するなら、もうひとつ縄張りを作っちゃえという感覚が凄い。

ちなみに、それ以外の手法として、いわゆる広告代理店的手法がある。広告費を使ったプロモーション戦略であるが、これはUFA的にはあまり乗り気じゃないと思うし、将来性があるといわれると疑問。これは企画屋の秋元氏がやればいい。

そんな感じかな。