アイドル歌手評論を難しくするもの

12/29の能登有沙ちゃん祭りの翌日、12/30にモーニング娘。学会メンバーがサークル参加するということで、二日連続でコミケに行きましたが、その際、(本人はお嫌いな表現かもしれませんが)はてなアルファブロガー七里さんを囲む会にみたいなオフ会に何故か合流することになりました。そのメンバーにはライトノベル関連の雑誌のライターさんや、アニメ誌を中心に活躍されているライターさん(前Qさん)もいらっしゃいまして、急遽「能登有沙」を宣伝しておきました(笑)。ちなみに「アップフロント」という会社について「大手声優ライブを主催している会社」レベルではご存知のようでしたが、「モーニング娘。が所属している会社」という認識はなかった模様。なるほど、そりゃそうですね。それでも「アニソン関連のライターさんはモーヲタ多いですよw」というお話を伺いました。それはこの人たちですな(苦笑)。

んで、それに触発されたのか、エレンさんがこういうエントリーを立ち上げた模様。
どういう方向に行くのか見当はつきませんが、私も協力がてら「アイドル歌手の評論の難しさ」を、ごくごく簡単にですが、まとめてみます。

その前におことわり。
「アイドル」の意味が混乱している昨今の状況下では、「アイドル」という言葉を使ってそれを説明するのは困難です。
NHKは「女性アイドル(歌手)」とは呼ばずに「若手女性歌手」と呼んでいるようですので、それに従います。

1.ファンの立ち位置の違い

ここで言う「ファン」というのは、CDや写真集を購入したり、ライブに行ったり、自分のブログやSNSで理想の女性として紹介したり、学校で「お前この子が好きなんだろw」とからかわれたりすることを意味します。
ほぼ総ての方々は、何らかの手段で彼女(達)と出会い、ユニットの場合はその中のあるメンバーを気にするようになり、モヤモヤしだし、いてもたってもいられなくなり(笑)、この世界に入り込みます。そして殆どの方は、その子が辞めてしまったり、結婚してしまったり、あるいはかつてのトキメキ感を失ってしまったり、遠征等でお金がかかりすぎて破綻したり...という理由で辞めていってしまいます。
そういったタイプのファンは、その子を通じて、グループ(ユニット)やプロジェクト、曲に触れることになります。

そして、そこから生き残ったファンの中に、複数推しという層が生まれてきます。新たにお気に入りを見つけた人、単に浮気性な人、一夫多妻制やハーレム気分を味わっている人など、立ち位置は多少異なりますが、これらをDD、あるいは「複数推し」「全推し」と呼んでいます。ハロプロ好きの中でも1〜2割といったところでしょうか。

さらに、アイドルウォッチャー的な人もいます。元々音楽ファン(歌謡曲ファン)で曲から入り特に推しメンのいない人、他のジャンルとの比較でハロプロを見ている人、おにゃン子時代から目的も無くだらだらとこの世界に居続けている人、アイドルよりアイドルイベントが好きな人、既存のユニットよりもデビュー前の子を応援するのが好きな人...などです。ウォッチャータイプのファンは想像以上に少ないです。ハロプロのFC会員は3万人以上いるらしいのですが、下手したら1%もいないかもしれない。

これら総ての人に「アイドル評論」を書く権利はあると思いますが、それぞれの立ち位置は異なっています。なので、意見を聞く際はそのファンの立ち位置を確認しないと、とんでもないことになります。

2.ファンの傾向は世代や対象メンバーによって異なる

まず間違えやすいのは、「モーヲタ」「ハロヲタ」とは言いますが、ファンは意外なほど「オタク」ではないということ。ここでいう「オタク」とは「この世界に入る以前に何らかの『オタク』であった」という意味です。これは世代でも違うし、対象メンバーでも異なります。

今、この世界を大雑把に分けると、ASAYAN世代の層と、ベリキュー好き世代の層がいます。ASAYAN世代のファンは「オタク」出身者はかなり低いですが、ベリキュー好き世代はゲーム・エヴァ以降のアニメで育った世代なので、「オタク」ではなくてもそういった話についていける率は高いとは思います。

それと、現場にいかないと理解しにくいのですが、メンバー毎にファンの傾向は相当異なります。
それは、例えばグラビアアイドルでは「巨乳」とか「美脚」といったキーワードによりつくファンは異なりますが、そういったフェティシズムとは異なるものです。
要は「自分の生き様にフィットする子が好き」ですね。以前ですと「この子には特攻服系(ヤンキー系)のファンが多いけど、あの子にはいないな」といった外見で判断できるものがありましたが、オフィシャルでメンバー毎のTシャツを販売するようになってからは激減しました。まあでもスピリットは変わらないです。

3.現場主義

1980年代の若手女性歌手は歌番組への出演を目標としていましたので、アイドル歌手枠を巡って、似たようなタイプの女の子が雨後の竹の子のようにデビューしておりました。しかし1990年以降は旧来の歌番組は終焉を迎え、そのようなタイプの若手女性歌手は激減します。
生き残った若手女性歌手の殆どはライブイベントに活路を見出します。そこで歌番組に縛られない自由な発想を得ることができ、その流れがハロプロなどに(直接ではありませんが)引き継がれていきます。

今の若手女性歌手は歌謡番組型ではなく、ライブイベント型であるんです。いわゆる1990年型のアイドル歌手なんですね。アーティスト(=歌い手)は現場主義は自然であるので、まあ当然といえば当然なんですが、ただ、そのこともあってか、ある種極端な現場主義というか「現場にいるものこそ勝ち組」的思想は、1990年以降から蔓延しています。これは別にハロプロに限った話ではありません。

4.共有性の欠如

極端な現場主義になってしまうと、最悪の場合「現場でしか情報を得ることが出来ない」という状況に陥ってしまいます。
ハロプロ系ではニュースサイトがいくつかあることで、一応のバランスは保っています。さらに、OGを中心としたバラエティ番組への回帰や、ドラマ出演を見越した展開、それと声優分野への進出などで、この部分はちょっとは改善されるはずです。

ただ、ニュースサイトの無いNGP!は、極端な現場主義に陥っており、ファン数の伸び悩みという現場主義特有の現象に悩まされています。

5.過去と今の若手女性歌手を比較するのは困難

それ以前の話で、1990年代までの若手女性歌手とハロプロを比較できるかというと、周辺状況は比較できますが、パーソナルな部分は困難かもしれません。
周辺状況というのは「ヲタ芸はあの頃から存在したのか?」とか「つんく♂さんの音楽的なルーツはどのアイドルか?」といったものです。

パーソナルな部分で比較しにくい一番の理由は「はたして過去の女性に興味があるのか?」ということです。これは読む側の心理ですね。

もうひとつは時代や流行に左右されやすい部分。一例をあげると、若手女性歌手のブレイクの多くは番組企画からであり、その番組を比較しないと話にならないケースが多々あり、それが若手女性歌手の実力に左右されないと気がついた時点で壁にぶち当たるかもしれません。

その意味では、評論が比較的楽なのは、むしろ若手女優の方かもしれません。作品(映画・ドラマ・CMなど)を前提に活動する若手女優は、若手女性歌手より判断材料がシンプルであるため。結果として職業としての「アイドルウォッチャー」はこの方面に限られています*1

6.プライベート問題

2D(漫画・アニメ)と3D(こちら)を比較する場合、よくストーリー性を比較されると思います。その場合、そのキャラクター(あるいは若手女性歌手)の持つスペシフィケーション(スペック)が重要視されると考えられます。2Dの場合はそれをコントロールできるのは作家ですが、3Dの場合は送り手がコントロールできない場合がありえます。

3Dの場合のスペックはすなわちプライベート情報なのですが、これについては「控えるべき」という意見と「(ある程度は)利用すべき」という考え方があります。
実は私は後者に近いかもしれません。というのもASAYAN時代はむしろ積極的にそれを利用し、視聴者を巻き込んでいったことが成功の一因になっているのは事実だからです。また、プライベートがある程度分かっている(というか想像しやすい)アーティストの方が人気が出るというケースも多々あります。ハロプロでは鈴木愛理がそうです。芸能界ではDAIGOさんもそうですし、性同一性障害系のタレントさんや、「実はハーフ(クオーター)だった」で売れるケースもあります。また宇多田ヒカルさんのように、親の存在があることで主となるターゲット層以外でも親近感を与えられるケースもある。
一方で、前者の意見も根強い。それは実際プライベートを明かされたことでその後の活動が停止してしまった例が物語っています*2

話を戻しますが、このようなスペックは後に「○○物語」的なものが作られる際のネタになりえます。ただそれは事務所が関与しますので、どこまでが真実なのかわかりません。その一方で評論家が真実だろうと思い書いたコラムが、後々論争や訴訟に発展するケースも無きにしも非ずですので、アンタッチャブルとした方が無難かもしれません。

ただ、噂を含めたスペックの発生源やメカニズムなどは研究材料にはなるかもしれませんね。

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以上です。
何かあれば、コメントなりトラバなりでお願いします。

*1:実態としての「アイドルウォッチャー」は広告代理店の犬かもしれませんが。

*2:実はそれも仕込みだったのではないか?的な噂は私の周辺でもありますが、真実はわかりません。