アイドル歌手と擬似恋愛(その2)

トラバレスです。

たんぽぽ@モーニング娘。学会さん。

・ファンに愛されること

そうですね。「CDセールス」ってのはロケットの1段目や2段目であって、大御所になるとそこそこのセールスでも全国ツアーが組めますので、最終的にはファンの力に集約しそうですね。

野球とアイドルとの違い

「アイドル」には「憧れの存在」って意味も含まれています。海外ではジーコマラドーナ...もうそろそろ古いか(笑)...クリスティアーノ・ロナウドポルトガルの今の少年達のアイドルと言えそうです。で、その「wikipedia:クリスティアーノ・ロナウド」には「少年時代のアイドルはディエゴ・マラドーナ」とある。なので長嶋茂雄に憧れていた人は「長嶋茂雄がアイドル」だし、A.猪木に憧れてその道を目指した人も同様ですね。んで、その論法をスライドすると、実は「月島きらり」というビッグビジネスにつながるという(笑)。
まあでも引用元の方がそこまで考えて話しているとは思えませんけどね。それに今のプロ野球選手って憧れの存在足り得るのかなあ...そのあたりは専門外なのでなんとも言えませんが...

とまあ、アイドルは時代によっても年代によっても性別によっても見え方は異なるという好例です。

まずこの論法にはアイドルや女性がみな須らく恋に飢え、恋を欲しているというのが前提になっていて、そういう主観の傲慢が見え隠れしているように見受けられました。

そうですね。ただ、その一方で、テレビバラエティ的にはとっても扱いやすいステレオタイプかもしれない。
例えば数年前ニュース番組(というより、夕方に流行っている民放のニュース風バラエティ番組)でやっていた「結婚する前に娘。ファンをカミングアウトしたら『私とどっちを取るの?』と迫られた」シチュエーションとか。

ハロヲタって疑似恋愛マニア以前に、音楽ファンとしてハッピーに接している気がしますけどねえ。恋愛云々オンリーだと「SHIPS@クラブチッタ川崎」とか、「はるな愛@東京厚生年金会館」なんて、一生かけても解析出来ないと思うんですけど(笑)。

気になったのはその連ねた名前に安倍と加護の名があること。

そうですね...危険なのは世間的にはそれがゴシップなのか真実なのか判断出来ないことにあるんです。というかスポーツ紙の芸能記事のURLが「gossip」になっている*1こと自体がアレなんですけどね(苦笑)。
ちなみに加護亜依については、事務所がどういうアクションを取ってくるか分からないので、ウチの場合はアンタッチャブルにしています。

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ゴシップ関連の話をこのままにしておくのは、ちょっとマズいので、もう少し掘り下げてみます。
成人メンバーの場合は特にどうのこうの言う必要はないかな。以下は特に未成年者に関してのことだと思って下さい。

ファン主体で語ると価値観は千差万別ですので、分析すればするほど、底なし沼に陥っちゃうかもしれません。なので当事者たちがアイドル時代をどう結んでいけばいいのかをまず考えます。これは(アイドルだけではなく)全ての人気者に当てはまりますが、ハッピーエンドは少数派であって、大抵の場合はデッドエンドになります。

我々にとって最大の悲しみは「恋人発覚」でも「卒業・引退」でもなく、「死」や「自殺」です。ですので「思いつめる」よりも「辞めてしまう」といった選択肢のプライオリティが高い方が(この年代にとっては)望ましいことなのかもしれません。また、過保護的にガチガチにガードすることが必ずしも良いことではないでしょうね。

んで、ヲタが「○○ちゃんごめんね」するのはその人の自由ですし、それ自体は彼女達を傷つける行為ではありません。まあ、あまり自慢すべき話でもありませんが。

ただ同じ興味本位であっても、彼女達のプライベートを記事にするのはマズい。やっぱり「子供の人権」っつーのはありますので。そのあたりで(音事協音制連で束になって)訴えれば勝つとは思いますけどね。
その視点は意外というか、なかなか語られにくい部分で、これはどちらかというと児童ポルノマターの発想かもしれません。単純な「ポルノはけしからん」という発想ではなく、「その行為を録画・公開することにより、児童の人権を侵害してしまう」ことが問題という視点です。これはアイドル歌手にも応用出来る話ですよね。

斧屋さんが先日「モーニング娘。学会」で発表されていたこちらの理論も、その根底には「アイドルである当事者を守ってあげたい」の考えがあってのことですので、方法論はさまざまとはいえ、そう考えている人はひとりではありません。

*1:スポーツ報知大阪版」と「デイリースポーツ」といった「芸能・社会」というカテゴリ分けをしているところがそう。