虚構主義

萌えぎのエレンさん

一見するとなんか難しそうな話なんだけれども、お勧めです。
「音楽が良いから売れた」論から一歩離れた評論は私も書いてみたかったけど、なんか先を越されたみたいです(笑)。というか私が書きたかったことに近いです。

そのような彼女たちを、アニメのように見ること。それは、偉いものとして振舞わないことから発生する、ゆるやかさから生まれる。いわゆる「ゆるい」世界観を構築するモー娘から、見る者は勝手にさまざまな妄想を抱くことが可能となる。

彼女たちに対する接し方はさまざまだと思うけど、確かにそんな視点で見ている方は少なからずいるはず。意識的か無意識かは別として。

ハロメンが女優にならない理由は、事務所間の縄張り争いみたいなもの(パワーバランス)を取り除くと、「自分自身がひとつの作品」。それにさらに何かを加えると違和感が生ずるときもある。自分の個性を無菌にしてそこに肉付けする役者とは根本的に異なるものなのかもしれません。
これは昔の歌手もそうです。物真似されるかどうかが指標になります。まあでも対象者への接し方は違いますけどね。

そうなると「久住小春」と「月島きらり」の関係はどう解釈するかですね。「=」なのか「≒」なのか「≠」なのか...他にも集合関連の記号とかも使えるかもしれません(笑)。
同行者(元アニオタでロリ好き)は「月島きらりの方が好きw」「最近の久住小春は(役柄的に)年齢的にギリギリ」みたいなこと言っていたような...これはどの立ち位置での発言なんだろう?
それと吉川友北原沙弥香。彼女たちはまだエッグですが、演技力が認められてそっち(女優方面)のウエイトが高くなるのかもしれません。その時、本人の肉付けが気になりますし、彼女が受け持つ楽曲イメージも気になります。これも3〜5年スパンで見ていかないといけない話ですね。

アニメとは、想像することで成立する。実写よりも明らかに足りない情報は、見る者が「これは本物である」と補完することで、作品として成立する。そして、モー娘とは、見る者(モーヲタ)によって補完されることで成立する。だから、モー娘とは、アニメ的なコンテンツであるといえる。

アニメ作品は二次著作(イラストやパロディ作品等)がありますけれど、ハロプロの場合はOPVだったり、2chの妄想スレだったりと、手法は異なるものの根本は似通ってますね。