Wikipediaの「アイドル/アーティスト」論について(その2)

続き
長くなりますので袋とじで。

カエサルさん(コメント)。

80年代アイドルが「異性向きに特化した」ということについて、もう少し詳しい内容(ないしは原因)を説明していただけませんか?

喜んで(俺は居酒屋の店員か(笑))。
ただ、私もこの頃は小〜高学生でしたので、大学生以上の視点でのお話はできません。どうしてもお茶の間レベルになってしまいますがご容赦ください。

古参のアイドルファンに「アイドルポップスの元祖は誰?」って尋ねると、多くの方はCBSソニーからデビューした南沙織天地真理あたりを思い浮かべるのだと思います。
彼女達は「新三人娘」と一時期ですが呼ばれていました。もう一人は誰か?というと、なんと小柳ルミ子でした。
(参考:Wikipedia)
南沙織天地真理はヤングポップスですが、小柳ルミ子は「瀬戸の花嫁」という、演歌程ではないのですが今で言うところの歌謡ポップスに近い雰囲気の曲でデビューしています。当時の人気について、南沙織は男性支持が主でしたが、天地真理が子供に人気が高く、小柳ルミ子は年配層に人気がありました。

その後まもなくしてスタ誕から飛び出した「花の中三トリオ」がムーブメントを巻き起こします。
南沙織と同じCBSソニーからデビューした山口百恵は、初期は男性向けの割と大人ぶった感じの曲が多かったこともあり、人気は当初一番低かった気がします。 むしろ先発の森昌子の方が当初は人気が高かった。山口百恵が国民的な人気を博したのは、そういったタイプの曲から一皮むけた後ですね。
森昌子は今では演歌歌手ですが、当時はフリフリアイドル歌手かと言うと...いやあ、そんな事は無かったです(笑)。「せんせい」に始まる一連の楽曲は小柳ルミ子よりさらに演歌寄りだと感じます。
その点、割って入った形となった桜田淳子は口当たりの良いポップス路線で、老若男女から幅広い支持を受け、やがて人気も国民的なものになっていったと思います。
1970年代は主にこの3タイプの歌手が中心になります。

森昌子のような少女演歌歌手の系統は古くは美空ひばりまで遡ることができると思いますが、この後、西川峰子がデビューしピークを迎えます。
また、演歌ではありませんが、岩崎宏美太田裕美の様な後のニューミュージックに近い路線もここに含んでしまっていいかもしれません。
彼女達の様なタイプは歌唱力が最大の武器で、歌の善し悪しが人気を左右します。なので歌が悪いと人気は落ちますし、時代に合わなくなると、善し悪しは関係なく消えてしまいます。

桜田淳子は(レコード会社は違いますが)CBSソニー天地真理の系統です。天地真理が「隣の真理ちゃん」としてブームになったため、他のレコード会社がヤングポップスを追随していく際に、やはりお茶の間人気をかなり意識したんですね。実際、大場久美子や榊原郁恵や石野真子の様な健康的な明るさを伴ったタイプが好かれましたので、このタイプが1970年代のアイドルのメインストリームになっていきます。

山口百恵CBSソニー南沙織の系統で、他にも小林麻美岡田奈々木之内みどりらがあげられると思います。どちらかといえば痩せ型の薄幸そうなタイプが多く、それが後に「守ってあげたい」タイプのアイドルに変化していきます。
山口百恵も当初はそういう雰囲気を醸しており、宇崎竜堂/阿木耀子ペアが彼女を手掛け大ブレークする以前は、「ひと夏の経験」といった意味深な雰囲気の路線が定着するかにみえ、そこそこのニーズがあるものの、二人の影に隠れて終わっていた可能性が高いと思います。

この背景にはやはり、その当時やっとカラーテレビが各家庭に1台普及した頃でもあり、お茶の間の話題はTVがほぼ独占していたことがあげられます。なので「レコード大賞の最優秀新人賞は誰になる?」というのは共通の話題でした。
例えばピンク・レディーキャンディーズは当初正統派に近い売り方をしたと記憶していますが、バラエティに積極的に出演したこともあり、やがてお茶の間人気を得ることに成功しています。
アグネス・チャンは「守ってあげたい」タイプではありますが、その独特のキャラクターが受け入れられ、国民的な人気を勝ち取っています。
また萌えアイドルのご先祖様的な存在の麻丘めぐみも「守ってあげたい」タイプで、彼女の代表曲「芽ばえ」「わたしの彼は左きき」はその歌詞から大ヒットしましたが、それ以外は割と意味深な曲が多く、大爆発までには至らなかったと記憶しています。大好きだったんだけどなあ(苦笑)。

ただ、その後、小型カラーテレビが2台目として普及し始め、ビデオが(まだ一部の家庭ですが)普及し始める1980年あたりを境に状況が変化します。
その中でも、1980年にデビューした河合奈保子・柏原よしえ(現:柏原芳恵)・岩崎良美松田聖子の内、桜田淳子タイプの河合奈保子や柏原よしえではなく、また森昌子タイプの岩崎良美でもない、山口百恵タイプの松田聖子が一人勝ちの様相を呈するようになると、アイドル歌手のトレンドが一気に変化していきます。多分にCBSソニーの意地もあったのでしょうね。

問題はその後フォロワー達なのかもしれません。
彼女の持つ強烈な個性、特に「ぶりっ子」と称されるキャラクターがお笑いタレントを中心に面白おかしく(半ばバッシング的に)クローズアップされることになります。
(参考:Wikipedia)
ただセールスではプラスの面が遥かに大きかったのか、2年後の1982年デビュー組以降しばらく第二の松田聖子的な歌手が次々とデビューすることになります。

また、森昌子タイプの歌手は1979年にデビューした石川優子などが代表格かもしれませんが、ニューミュージックブームの波に上手く乗ることにより、アイドルというジャンルからは徐々に切り離されていきます。演歌も同様ですね。

そのようにジャンルが別れていったことや、ビデオの普及、一家に2台目以上のテレビが寝室や子供部屋に...などといったライフスタイルの変化が、桜田淳子タイプのように国民的な人気を目指すという方向性を徐々に忘れさせることになります。

また、アイドル雑誌が男女混合の「平凡」「明星」「近代映画」だけではなく、後に女性アイドルを専門にあつかう雑誌「Bomb!」(1979年〜)や、花の82年組ブームに沿う流れで「Momoco」(1983年〜)*1「Dunk」(1984年〜)が相次いで発行され、また(パンチラなども扱う)投稿写真誌なども売れたことが、女性アイドルの男性向けに拍車をかけることになります。

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とりあえずそんなところかな。

そのようにマーケットが多様化したことが、逆に男性視点のアイドルを大量生産し、それがマニアックになったことで飽きられていったことが「アイドル冬の時代」の幕開けでもあったのだと思います。
そうすると、「じゃあハロプロも似たようなものじゃんwww」ということにはなりますが、ハロプロにいる「若手女性歌手のみなさん」(by 紅白歌合戦)は、どちらかというと森昌子あるいは桜田淳子タイプなんです。これは森高千里Winkもそうだと思います。 そのコンセプトさえ忘れなければ、TV戦略がまた噛み合うことによって、人気は回復するのではないかなと思います。それが旧来のユニットなのかニューカマーなのかは予測は出来ませんが。
(ちなみに、これを読んでいる貴方が「美勇伝ハロプロ向きではないなあ...」とある種の抵抗感を持っているとすれば、それはそういったコンセプトが理解できてる証拠かもしれません。ただ以前も書きましたが、美勇伝は突っ込まれてナンボなユニットなので、売り方次第では国民的なユニットになりえるはずです。)

このコンセプトは野田社長の「俺は服を着せることが仕事」に通じる部分でもあります。

ただ、TNX松田聖子フォロワー的なコンセプトのユニットが存在していることで、そちらがそのままブレイクするとちょっと危険かもしれないですね。私が秋葉原にいるのならアニメ系の仕事を中心にすべきと言っているのは、そういった部分を上手く隔離できるということもあるのです。

それと実は、山口百恵タイプの歌手はまだ生き残っているのですが、その方々はアイドルとは呼ばれていませんし、リスナーの主な対象は女性だったりします。それがフリフリなアイドル性を持ってブレイクすると非常に危険な事になっちゃうので、余計なことはして欲しくないですね。特にavexさん(笑)。

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それとついでに。

数年前だったか神園さやかがデビューした際、彼女はド演歌だったのでがっかりしました。もうちょっと歌謡ポップス向きの展開をしていれば、氷川きよし級の人気を得たのかもしれません。
その一方、氷川きよしがブレイクしたのは股旅物だったからだと感じます。要は橋幸夫的なオールマイティさを持ったイメージに捉えたのかもしれませんね。

また、ハロプロからそういった曲を歌える子が出てきてもいいですよね。キッズ・エッグには「民謡が歌えます」とか「ちびっ子のど自慢的な番組に出場したことがあります」系の子はいなさそうですが、例えば俺の須藤茉麻は素質がありそうな気がしてならないので(笑)、もし興味があればそろそろレッスンとかさせてあげたいなあ。
実際、ハロ☆プロパーティのJA篇では、そういったメンバーが2〜3人いて、セットリストを3割ほど年配向けにシフトさせてしまえば、JA枠は一瞬で埋まったのかもしれません。今だと前田有紀に(割と縁のありそうな)石原詢子さんや城之内早苗さんを加えると何とかなりそうですけど、できれば自前でなんとかしたいですよねえ。

*1:1984年1月号が1983年11月に発売された。