同性のアイドルを好きになる理由(その2)

さて本題です。

同性(女性→女性、あるいは男性→男性)から支持を受けやすいタレント・アーティストから、キャッチーな部分を抽出すると「憧れ」と「共感」と「同化」というキーワードが浮き出てくると思います。

流れから女性タレントに絞って話を進めます。

「憧れ」とは、ちっちゃな子が将来こんな風になりたいというもの。子供には大塚愛松浦亜弥の人気が高いようです。
ティーンにとっては蛯原友里がそうかな。
また大人でも「憧れ」というものはあり、まあセレブというか絶対的な美に対する溜息みたいなものなのかもしれません。セブンアンドワイチャートだと叶美香や、先週のほしのあきはこちらに近いですかね。

「共感」はもっと身近に感じる存在で、自分の外見や生き方を支えてくれる存在です。概ね同年代の同性に対する支持となります。
日本でいう「カリスマ」と言う言葉を同性に対して冠した場合、どちらかというとこの「共感」に属することになります。
前出の蛯原友里は同年代にとっては「憧れ」よりも「共感」の方が強くなると思います。鈴木えみ浜崎あゆみ田中美保も同様。
「共感」されるタレント・アーティストはパーフェクトな存在である必要はありません。ある意味コンプレックスをもっていたり、むしろマイノリティさを感じられた方がいいのかもしれません(後述します)。

「同化」は行き過ぎた例で、もうそのものになりたいということ。要は矢沢永吉のライブでは永ちゃんが日本全国から集まってくるようなものですね。
いわゆるマニアの一表現で、ものまねやコピーバンドを作る程度ならまだしも、これの度が過ぎると自分がそのものだと思い込み、本人に危害を加えようとする事になりかねないので注意が必要です。

さてさて、ここで登場しなかった人たちがいます。

前出のセブンアンドワイ女性チャート(2006.05.29付)には亀井絵里(3位)、宮崎あおい(4,13位)、若槻千夏(9位)、田中れいな(14位)、堀北真希(17位)、中川翔子(19位)と、そうそうたる面々がランクインしています。
多分にこの方々も「共感」に属すると思われます。

このことに気がついたのは割と最近で、小倉優子がCDデビューをし、今までのクローズドからオープンな環境でのイベントが増えていくにつれて、女性客が目立つようになったことがその発想の発端です。で、このことを分析しようと考え、まず頭に思い浮かべたのがいわゆる不思議系キャラの不在。その昔は戸川純篠原ともえのような視覚的にも不思議感を満喫できるタレントはおりましたが、最近ではそういったタイプは不在で、彼女がその後釜的な存在になっているという仮説を立てました。で、確かにロリータファッションを身に纏った不思議っぽいファンも見かけましたが、それより多いのは普通に可愛らしい感じの女性なんですね。「めざましテレビ」の皆籐愛子みたいな、もうトータル的にそういう雰囲気が滲み出てくるタイプ。ただそれがマイノリティだと感じているように見える子も少なくない。なのでファンションとかではなく小倉優子の生き様に共感を得た女性たちなんだなあ...そんな気がしてきました。

そう考えると、それぞれの支持層が大体見えてくると思います。

実は、このことは狙ってやっているものではないんですよね。現行のアイドルは大衆よりも異性に向けられて発している称号ですから、あくまでも副次的(副作用的)なものだと思います。

ここからが、まだまとめきれていないのですが、狙って成功した例ってあるのかなあ?

概ねの結論としては、作品次第でどうにでも出来そうだということは言えるんですね。
まず、女優であればドラマの内容次第でかわいいと思われる女性をスターとしてブレイクさせることは可能でしょう。女優は作品毎に勝負すればいいのでCMでは普段の可愛さ満載でも通して行けるのは羨ましい部分ではあります。

音楽の場合も一昔前のavexビーイングを中心に、元アイドルタレントや、アイドルとてして通用しそうなタイプの女の子を、さもアーティストの様に仕立てて売ることが常套手段にはなっています。
でもこれじゃあ自然な可愛さが失われてしまいます。実際ティーンのユニットで無理矢理そう仕立てて失敗した例は(avexビーイングでも)少なからずあります。
ただそういった常套手段を組む場合でも、結果的売れた子は可愛さの隙があります。浜崎あゆみは「森永ハイチュウ」ではコミカルな感じでしたし、鈴木あみ(当時、現:鈴木亜美)もCMではモロアイドルでしたからね。そういう意味でバランスをとることは凄く大事なんですが、その一方で隅から隅までアイドル臭を消すと不思議と売れない。やはり「共感」できる隙がないとダメなんでしょうね。
ただ、当然のことながら作品(=楽曲)の出来に左右されることは確かです。カラオケで歌える曲じゃないとダメでしょうね。

話をハロプロに移します。

中川翔子に限らず、ハロプロのライブでは女の子のファンがウチワを持って歩いているシーンをよくみかけます。私的には「それ誰の?」ってのに凄く興味があって、想像しつつ偶然それが見えちゃうと「やっぱりそうだよな♪」って一人でガッツポーズをとったりします。
同行者あたりから最初はキモ悪がられたのですが...いや、最近は同行者もその意味がわかってきたらしい。きっかけは、ある会場でめちゃくちゃ可愛いリアルキッズの子を見かけて、その子が(当時彼の推しだった)道重さゆみのウチワを購入しているところを目撃し、二重にメロメロになったのが原因なんだけど(ひでーきっかけだな)。
で、そのウチワに描かれているメンバーと、それを持っている女の子のシンクロ具合がなかなかいい感じなんですよね。自分の目で確かめた限りは、購入者はハロプロDDとかではなく多分にオンリー層で、さらに亀井絵里支持層と田中れいな支持層は異なる様です。紺野あさ美もそうですね。
(逆に考えると目先の売上に固執してトレーディンググッズだけ売ってたら、購入層のリサーチは無理だってことだな(苦笑)。)

そう考えると問題点としていくつか浮上してきます。

まず、「憧れ」で登場した松浦亜弥やちょっと前まではその対象だった筈の後藤真希に「共感」度がどの程度あるのか?と考えた場合、相当な物足りなさを感じます。実際女の子の客層は減少しているようにも見えます。 この歯車が噛み合うと、一気に再ブレイクが期待できそうですね。
(ちなみに、安倍なつみのライブ会場で女の子が徐々にですが増加傾向にあります。)

それと、逆に「私たちにそんな生ぬるい『共感』なんては不要ですw」なアーティストもいるでしょうね。

まあそういった露骨な戦略を執る/執らないは別として、女性ファンに歌いやすい曲を提供してあげるか?ってのは永遠のテーマなのかもしれません。ハロプロはカラオケで歌ってナンボでしょうからね。 ただあまりに狙いすぎると音楽の幅がavexビーイング並に狭くなるので、それも痛し痒しなんですよね。このさじ加減が一番難しいところなのかもしれません。

追記。
そう考えると、このジャケットは何を意味しているのでしょうね?