同好の士としてのアイドル

斧屋さん

アイドル桜井聖良とそのオタクの女の子を同じ視野の中に捉える時、どちらも見られる対象としての強度は持ち合わせていることを感じる。オタクの女の子の方がアイドルをやっていますと主張すればそれはそれで成り立つような、一方ではアイドルの側の立場の脆弱性、また一方ではうまくすればオタクがアイドルになれてしまう現状を映し出している。アイドルになりたい人間がたくさんいて、その中で一握りが「ちゃんとした」アイドルになれて、他の多くの人間がオタクになる、というような印象。つまり、アイドルとオタクが対照的な関係にあるのではなくて、アイドルもオタクも同じベクトルを持つ人間の異なる表現に過ぎないのではないかということを感じる。

アイドル歌手のデビューそのものが困難であった1990年代、プロ予備軍そのものを売り出そうという動きがあり(1990年代前半)、それが俗に「プレアイドル」と称されるのですが、それだけのマーケットがあると分かると、それ専用にカスタマイズされたプロを売り出す手法が出始めます(1990年代後半頃)。でも実際やっている女の子たちはそれだけでは生計は立てられず、やがて自身もアイドルポップスが大好きな一握りの女の子と、それを支持するごくわずかな層だけの世界が出来あがる。

それが「地下アイドル」ですね(1990年代末期頃〜)。
ただその世代が高年齢化するとともに、新たな世代が台頭して現在の状況になっているのかなと。そこには娘。ブームとか萌えブームとかいろんな洗礼はうけつつも、ライト化したことが大きいかなと。

実は「プレアイドル」のおおもととなった「歌姫伝説」の初期スタッフさんが、アップフロントスタイルの社長さんなのですが、HAPPY! STYLEはアイドルソングごっこにはなっていないのが楽しいです。

ただ、その予備軍である「HAPPY! STYLE Rookies」(エッグに相当するメンバー)のファンの中には、1990年後半以降の香りがする人も無きにしも非ず。もともと℃-uteの不遇時代→エッグ→...と流れ着いた人たちも多い現場だけに、変な私物化っぽい状況は避けたいところですし、やってるRookiesたち*1もそれに馴染むようではダメですね。

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おまけ。

斧屋さんふたたび。

「かっこいい」は、多分に時代的な価値にコミットすることであるから、かっこいいものは時が過ぎればかっこよくないものになる。

はい。

でも「逆もまた真なり」というか、「今あえて逆を狙う」というか、いわゆる「逆」の時代かもしれませんね。

歌詞は1980年代の軽薄短小っぽさかな。でも今の歌詞は読書感想文みたいなのが多くつまらないので、昔の方が逆に新鮮ですよね。

阿久悠さんへのリスペクトあるかもしれませんね。逆の意味で。

*1:うーん...叶恭子さんの「メンズたち」みたいな表現だな。