おたくとヲタクのコミュニケーション手法について

エレンさん経由でこちら
このブログの文体は読みやすくていいね。私もそれは心がけたいところ。

さて。

情報が雑誌やテレビ・ラジオや仲間内情報に限られていた頃の「おたく」さんたちは、より深い知識を得るために対面コミュニケーションは必須だったと思うのですが、相手の人柄よりも、むしろ相手のインナーワールド(コンテンツ)にアクセスすることが目的だったはずです*1。さらに、現場で会話をする相手は、どんな人物か全くわからないケースが多々あった思います。なので『知識のすり合せ』ってのは、ある種の合言葉として存在していたともいえるんです。
(「振り込め詐欺」の対策で「家庭内で通用する合言葉を用意せよ」といったアドバイスがありますが、それと似たようなものかもしれません。偽者対策というか。)
それで相手のレベルや嗜好性がある程度は判断できます。
逆に考えるとビギナーは全く相手にしてもらえないでしょうから、サークルに入ったりして一生懸命勉強をする。そういった状況だったと思います。

今はネットコミュニティで事前にディスカッションした後に、オフ会や現場で意識的に会うというプロセスを経るので、『知識のすり合せ』は現場では不要。それよりむしろ、もっと友人レベルでの付き合いをしたい的な感じでレベルアップしているかもしれないですね。またビギナーかマニアか、エロOKか否かも事前にわかりますので、会話のレベルも対面時に直ぐに合わせられる。それが紳士的な理由かもしれないです。
(ちなみに、「会話のレベルも対面時に直ぐに合わせられる」ってのを悪用しているのが、いわゆる『闇サイト』と言われるものです。)

というか、「おたく」という言葉自体、当初はアニメファンのコミュニケーション手法の気持ち悪さを揶揄する目的があった気がするんですよね。

 この変化の要因については、「オタクがヌルくなってきたから」「ライトなオタクが増えたから」という説明をみかけることが多いし、それは多分当たっているのだろう。

新井素子がブームになった頃や、「ふぁんろーど」読者が増殖した頃、似たようなこと言われていた気がします(苦笑)。

 個人的には、知識の普及に努めるようなオタクは嫌いではないが、知識に乏しい入門者を小馬鹿にしてまわるのが生き甲斐になっているオタクなんて、ろくなもんじゃないと思う。痛々しくも厚かましいオタクがのさばっていられるような雰囲気が解消される流れ自体は、そんなに悪いものでもないと思う。

そうですね。
私もそれは心がけています。

 オタク知識をひけらかして優越感に浸るような痛々しい自意識が駆逐されていくいっぽうで、体系的な知識の把握をバックボーンとした“濃さ”や“ディスカッション”が失われていくという変化。これをどう取るのかは人それぞれだろうけれど、ただ間違いなく言えるのは、こうした変化が今も着実に進行していて、止めたくても止まるものではない、ということだ。

こちらではその心配は少ないかな。全体に精通している人はDDとして存在できるから。あとは、そういう人たちがいかに発信できるかですね。ある人はファンサイトを立ち上げているし、ある人はWikipedia、ある人は巨大掲示板、私は「はてな」。そんな感じかな。

とは言いつつもボヤキですけど(笑)、現場系の人でブログやってる人は「今日もどこどこへ行ったらおまいつばかりだったw」「××(知人のハンドル名)必死すぎw」みたいなことしか書かない人も結構いますけど(ハロプロ以外ではもっと多い気がする)、自分の私利私欲ではなく「○○ちゃんに輝いて欲しいな」という痛い気持ち(笑)を失わないで欲しい。それ誰かがやんないと活動停止しちゃうよ...とゆいたいです。クリスマスに高額なプレゼント渡すよりも、知り合いの2〜3人でも連れてきたほうが喜ぶんじゃないかな。

あ、偉そうなこと書いてごめん(苦笑)。

*1:だから二人称が「おたく」だったんじゃないですかね。