Hello! Project 2006 Summer〜ワンダフルハーツランド〜@代々木(℃-ute&Berryz工房編)(その2)

ここの続きですが、ここも読んでおいた方がいいかも。

スゲー長いよ(笑)。

id:JuliusCaesarさん(トラックバック)。

アメリカでは今や見る影もなく(「バブルガム」というのがもともと蔑称と思われる)、日本でも近年ではあまり目立たないジャンルで頑張っているということなのかなと思います。

ここでも書きましたが、米国は極端な実力主義に支配されている影響下で、広く浅く受け入れられそうな遊び心満載の楽曲が忘れられている気がします。目立たないのではなく。

バブルガム系で近年広く知られている曲ってなんだろう...あそうだ、サッカー日本代表の有名な応援歌のひとつに「VAMOS NIPPON」っていうのがありますよね。あれは1980年代に活躍したカナダのグループ「MEN WITHOUT HATS」の「POP GOES THE WORLD」のイントロダクションなどのメロディーに詞をつけて歌っているものですが、これはカナダ本国やヨーロッパでは知られている曲で、多分その方面の代表かクラブチームで歌たわれていたものが日本に輸入されてきたのだと思われます*1。一方、実力主義に蝕まれはじめた米国では20位台止まりだったと記憶しています。
で、この原曲は勇ましい曲でも何でもなく、「ハピネス〜幸福歓迎!〜」や「ギャグ100回分愛してください」と同系統の可愛らしいポップチューンです。

そういった感じで、ハロプロではバブルガムなエッセンスがふんだんに盛り込まれています。例えばモーニング娘。をブレイクさせたディスコサウンドもそうですし、キッズ系楽曲にはジャクソン5やその後の○×ファミリーの様なバブルガムソウルもかなりのウエイトを占めているんじゃないかなあ。

ちなみに日本では、1990年代半ばに渋谷系のアーティスト周辺から巻き起こった「ソフトロック」*2ムーブメントに付随した形でバブルガムポップスも再評価を受けています。これがもとで海外のリイシューレーベルに飛び火したりもしました。
丁度そのころ筒美京平さんの、何周年か忘れたけど(笑)企画盤が相次いで発売されたことや、国内外のモンドミュージックの再発ブームもありました。

どのくらいのウエイトかはハッキリとはしないですけど、これはハロプロのアレンジャーさん達も相当な影響を受けていると思います(名曲「好きな先輩」のアレンジはモロにそうです)。つんく♂さんは結構貪欲に音楽を吸収される方だと思いますから、優れたアレンジャーさん達に囲まれたことが幸運でした。

古くは「歌謡曲」と「ニューミュージック」の対立があって、

個人的な記憶だとそうでもなかったような...
1980年前期くらいまでは、今よりもアーティストに個性や主張があって、リスナーも制作者側もある意味それに寛容だった時代だった気がします。
ご先祖様(笑)の「アリス」は歌謡番組をむしろ積極的に使いました。「サザンオールスターズ」もそう。吉田拓郎キャンディーズに曲を書いたり、自作でもヒットチャート向けにキャッチーな曲を書いてはファンの非難を浴びていた聞いています。
歌手も歌手力重視でしたから。専業歌手が下にみられることはありませんでしたし。

80年代後半に「歌謡曲」側が自滅する形で衰退し、「ニューミュージック」から発展した「J-POP」の天下になるわけですが、

もうちょっと詳細を書くと、1980年代中盤から後半にかけてアイドル歌手が国民歌手から異性向けにシフトしていくにつれて、歌唱力を無視したり、テレビ局を選別するようになりました。そのような背景によりやがて音楽番組が成り立たなくなってしまい、そのようなドタバタに飽きてしまったリスナー層に自作自演のバンドがフィットしたことにより本物志向が芽生え、やがて(特に男性向け)アイドル歌手や(その余波を受けた)旧来の歌謡曲は衰退してしまう...ですね。

しかし、『彼等』も馬鹿じゃないので、歌謡曲の専業歌手+専業作曲家システムを上手くその嗜好にフィットさせることで、次第に盛り返してきます。リスナーはやがて誰が作ったかということにこだわらなくなり、やがて「J-POP」という便利な言葉に置き換えられていくといった流れだったと思います。
その『彼等』の代表格がZARDなどのビーイング勢だったり、小室哲哉を利用して発展したavexだったりします。グループ→ユニットという言葉の変化も随分と後押ししたと思います。
なので、個人的にはあんまし変わっていないような気もするんですよね。いや、むしろ悪質かも(笑)。浜崎あゆみ鈴木亜美は大昔ならアイドルに属すものだと思いますし。
その『彼等』の中には、当然ながらアップフロントの極めてアイドル性の高いガールポップアーティストもおりました(苦笑)。

当時のリスナーは、とにかくいろいろな音楽を求めており、また異物に寛大でありました。ですから、モーニング娘。のようなものも「許されて」いたのです。

なるほど、1990年代末期あたりは1980年代前半以前のシーンに似ていたって事なのかな。
確かにそうかもしれないですね。

要は「はしごを外された」というのが、ハロプロの苦しさではないかと思うわけです。この状況を打開するには「音楽とはR&Bやヒップホップのことだ」と思っている人たちを説得する必要があります。そして根本的な問題として「音楽では世界に対するアメリカの比重があまりにも大きい」というのがありまして、アメリカから逃げるわけにはいかないのです。誰かがジャパニーズインベージョンを起こしてくれればいいんですけどねえ。

私はアメリカをスルーしていいと思います。
前出のサッカーをはじめとしたヨーロピアンスポーツの流入に伴う変化が、米国偏重の考えを少しずつ変えていっている点がまずあると思います。

また、日本のアニメーションがウケるのは、無宗教的倫理観というか文化的に中立だからという部分が大きいのですが、アメリカはそうじゃないですよね。アメリカの有名なテレビシリーズでもあるスタートレックTNGあたりからは米国の倫理観を押し付けられるようで毛嫌いする人が多いとも聞いています。

重要なのは、日本の文化を支持しているファンの多くは、こちらが”世界に発信しているんだ”と意識しない部分にとてつもない魅力を感じている訳ですから、気にせずやるのが一番です。

(ちなみにハワイは、米国文化とはまた異なる価値観をもった文化圏だと思います。)

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話は変わって...

まさかSPEEDを忘れていたわけではないでしょうが、

U-15は本来の意味は単なる15歳以下で、主に年齢制限のあるスポーツ大会で使用される表記ですが、芸能界...というかアイドルファンからみたU-15は意味がちょっと異なります。
簡単に説明すると「アイドル」キーワードの「4」(ネクストブレイク系タレント)に属するも者の内、15歳以下をU-15と称しています。
一方、SPEEDは既に「1」ですので、これを「4」としてカテゴライズするには無理があります。同じ土俵に立っていないからです。
当時は確かU-15の原型的な「チャイドル」という言葉が流行っていたと思いますが、「SPEEDはチャイドルのチャンピオン(笑)だ!」って言われると何か嫌ですよね?

SPEEDには「後継者がいなかった不幸」があります。

とりあえずフォロワーは存在していたと思います。「Folder(→Folder5)」もそうでしょうし、山田優が在籍していた「y'z factory(ワイズ・ファクトリー)」もそうかもしれませんし、果ては「Z-1」なんてのもありましたよね。
(KINGはどうなんだろう?)
近年ではSweetSと(SPEEDと同事務所の)HINOIチームですね。

前回書いた「ガチガチに固められてしまう」には、ジャンル的に固めてしまって息苦しくなってしまうという意味を中心に書きましたが、それに加えて、スタートポジションを見誤っている部分が多々あるという見方もありますよね。

SweetSBerryz工房とほぼ同時期のユニットなので記憶に残っていると思いますが、ポップジャムネクストレーダーでSweetSは高得点、一方のBerryz工房は惨敗でした。
しかし現在、SweetSは先日解散し、Berryz工房はビッグイベントのサポーターに大抜擢されています。 ここでもしBerryz工房が高得点だったのなら、今のBerryz工房は無かったかもしれない。厳しい現実を見せ付けられてしまったBerryz工房のスタッフはここ最近まで「4」路線に踏みとどまり、SweetSは迷わず「1」へ行った。その違いがこの結果だと思います。

一方、HINOIチームはギリギリ「4」かな。それは(メンバー全員が)ファッション誌のモデル(=U-15の代表的なお仕事のひとつ)を平行して行っているからということもあるのですが...ただギリギリと書いたのは、読み違える可能性が高そうだってこともあります。

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以上ですが、ここであることに気がつくと思います。

まず、久住小春の存在。彼女は「1」の世界の人間です。もしここを読んでいる貴方が「コドモ大好きなんだけど、久住小春は違和感あるんだよなあw」なら、つまりはそういう事だと思います。
(ただ最近彼女はアニメの世界を通じて「4」の世界に飛び込んできましたので、そこで面白い化学反応が生ずると思います。)

そして、Berryz工房がブレイクするにつれて、「4」系のファンが一時的に去ることがあるかもしれません...いやもしかしたら男の勘で、春先からそうなっちゃっているかもしれませんね。ただ受け皿は用意されています。
ただ、市原を見た限りはオンリーファンがまだ強く支えているようなので、この後やってくるであろう新しいファンを上手く受け入れることが出来るかが課題なのかなあ...そんな気がする今日この頃です。

*1:そのあたりを私が指摘したのが2004.04.23、それから少し経って「VAMOS NIPPON」の初CD化が2004.08.04に緊急発売されています(苦笑)。

*2:主に1960年代後半から1970年代前半におけるコーラスワークやキャッチーなメロディーを中心としたドリーミーなポップミュージック。ハロプロでは「真夏の光線」がその代表格。